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ボクシングPRESSBACK NUMBER
「ほんま、脳みそだけは触ったらあきませんよ」西成の“ごんたくれ”だった赤井英和が伝説のボクサーとして成り上がるまで〈25歳で壮絶引退〉
text by
曹宇鉉Uhyon Cho
photograph byNIKKAN SPORTS/Shiro Miyake
posted2022/09/08 11:02
1980年代、時の世界王者を凌ぐほどの人気を誇った“浪速のロッキー”。知られざる「プロボクサー・赤井英和」の実像とは
ケンカを通じて自らの居場所を見つけた赤井は、腕試しとばかりに近隣の中学校にも進出していく。西成警察署の少年柔道教室と、天王寺の空手道場で鍛えた腕っぷしに加えて、赤井には天性の体力と度胸があった。
「近くの中学に行って、『お前んとこの一番強いやつ連れてこい』と。いま思ったら、ボクシングをやってるときも同じですけど、いつでも命がけみたいな感じでした。殺すか、殺されるか。ケンカする相手からしたら、そら怖いですよね」
「どっちゃでもええわ、高校なんてやめたるわい」
勉強は一切やっていなかったという赤井だが、兄に「なんやお前、浪速高校も受けられへんのか」と煽られ、同校を受験。まだ合否も出ていない試験翌日、近所の不良が集まる喫茶店でたむろしていたところ、浪速高校に進んでいた旧知の先輩に声をかけられた。
「先輩が『浪高受けたんか、なら明日の10時に食堂の前に来い』と。言われる通りにしたら、そこがボクシング部の道場やったんです。たまたま受かっていたからいいですけど、入部した後も洗濯をやらされたり、ヌルヌルのマウスピースを洗ったり、雑用ばかり。そうしたら夏休みに『高体予選あるから、お前も出え』と言われて。そら『ええ!?』ですよ。練習なんてなんもしてへん。初めてグローブをつけたのが試合だったんちゃいますかね」
スパーリングをしたこともなければ、まともにミットを打った経験もない。完全に素人だった赤井だが、ケンカで鍛えた馬力と度胸だけで2回戦を突破。「2分3ラウンドでベットベトに疲れて……。ボクシングにもなんにもなっていなかった」と回想するが、四角いリングの上には、これまで味わったことのない本物の充実感があった。
「ほんでも、1年生のときは生活も荒れていて、ボクシングと真剣に向き合っていませんでした。酒もタバコも飲んで、毎日チンタラチンタラ……。案の定留年しまして、『どっちゃでもええわ、高校なんてやめたるわい』と思っていたんですけど、顧問の先生に『お父さん、お母さんがどないして学校に行かせたと思ってんねん!』とボコボコに殴られまして(笑)。それで続けることになりました」