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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
《トモダチナラ、アタリマエ~》J伝説の外国人アルシンド54歳は今どうなった?「350ヘクタールあるぞ(笑)」「苦労させられたDFは…」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2022/09/07 17:01
鹿島時代のアルシンド。54歳になった今、どうしている?
「名古屋とのホームでの開幕戦(5月16日)とその少し後のアウェーゲーム(6月19日)だね。 開幕戦はジーコのハットトリックと僕の2得点で大勝(5−0)。6月の試合はジーコが欠場したんだけど、僕のハットトリックで今度も圧勝した(4−0)。
この試合の翌日から、世界が一変した(笑)。どこへ行ってもサインと写真を求められ、朝起きると自宅の周りを大勢のファンが取り巻いている。
ブラジルでは全く有名じゃなかったのに、地球の反対側で超有名人になった(笑)。外出するとすぐファンに取り囲まれるから、家族と一緒に食事や買い物に行くこともままならなくなった」
——そんなファンの熱狂をどう思いましたか?
「自由に行動できなくなって不便なこともあったけど、ファンが僕のプレーをとても喜んでくれて、僕という人間を愛してくれているわけだから、とても嬉しかったよ。だから、もっと活躍してファンをもっと喜ばせたい、という気持ちになった」
最も苦労させられたのはイハラだね
——当時、最も苦労させられたDFは?
「井原(正巳。当時横浜マリノス)だね。いつも執拗にマークされて、時々、苛立った。
でも、ある試合で僕のそんな様子を見たサントスが、『必ず一度は得点のチャンスが来る。辛抱強く待て』と諭してくれた。その言葉通りに一度だけシュートチャンスが来て、それを決めて鹿島が勝った。井原が悔しがるのを見て、溜飲が下がったよ(笑)。でも、彼は本当に素晴らしい選手だった。日本代表で守備の要となり、キャプテンも務めたのは伊達じゃない」
——鹿島には秋田豊がいました。
「屈強で、ヘディングが恐ろしく強かった、彼がチームメイトで、対戦する必要がなかったのは僕にとって幸運だった(笑)」
——優れたアタッカーは?
「(ブラジルの名門)サントスでも活躍したカズ(三浦知良/ヴェルディ川崎)は、日本選手の中で飛び抜けた存在だった。ラモス(瑠偉/ヴェルディ川崎)のテクニックと状況判断は素晴らしかったし、武田(修宏/ヴェルディ川崎)、や中山(雅史/ジュビロ磐田)の高い決定力も印象に残っている」
——1994年のワールドカップ(W杯)アジア予選で「ドーハの悲劇」が起こり、日本代表は惜しくもW杯初出場を逃しました。
「テレビで試合を見ながら、僕は日本代表を応援していたんだ。最後の最後、ちょっとだけマリーシアが足りなかったかな」
後編では、1994年末に鹿島を退団し、当時最大のライバルだったヴェルディ川崎へ移籍した経緯、長男イゴールのことなどを聞いた。
<#2につづく>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。