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「羽生選手が心のよりどころでした」好きすぎて“羽生結弦特集”の番組を企画したアナウンサーが学んだ“諦めない姿”「人生のバイブルです」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byL)JMPA、R)Tomosuke Imai

posted2022/08/31 11:01

「羽生選手が心のよりどころでした」好きすぎて“羽生結弦特集”の番組を企画したアナウンサーが学んだ“諦めない姿”「人生のバイブルです」<Number Web> photograph by L)JMPA、R)Tomosuke Imai

高校生の頃から羽生選手の応援を続け、アナウンサーとして“羽生特集”を実現させた藤原アナに、羽生への思いを聞いた

 高校時代の苦さを含んだ経験も、そこにつながっている。

「高校生の頃は放送部に入っていました。『放送部の甲子園』と言われているNHK杯全国高校放送コンテストという大会があります。県大会を経て全国から300人の代表が選ばれ、準決勝で60人が残って、決勝に残るのは10人。高校2年生に続いて出場した高校3年生のとき、全国大会の準決勝には残りたいな、最後の10人までいけたらラッキーだなと思っていたら、準決勝どまりだったんですね。

 羽生選手はソチで金メダルを目指し、獲りました。そこから学んだことがあって、ほしいものがあったら目指さないとそもそももらえる権利がないんだな、私は60人をどこかで目指していたから最後の10人に残らなかったんだと思いました。なれたらいいな、ではなく、アナウンサーになるんだと信じなければ、なれないんだと思うんです」

「羽生選手がいなかったらアナウンサーになれていなかった」

 羽生の姿勢を自身の体験と照らし合わせ、そこからいろいろなことを得てきた。

 だから藤原は言う。

「羽生選手は人生のバイブルだと思っています。羽生選手がいなかったら、たぶんアナウンサーになれていなかったと思いますし、夢ってこうしたらかなうんだというのを羽生選手からいっぱい教えていただきました」

 入社3年目、職務の中で壁を感じることもある。フィギュアスケートの番組を作りたいという目標はかなったが、藤原には思い描く青写真がある。《つづく》

(撮影=今井知佑)

#3に続く
「お手紙がないと成り立たないので…」羽生結弦と町田樹を愛する“異色のアナウンサー”が語る「ラジオでフィギュアを届ける意味」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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