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全国出場ゼロ→日本代表の15番へ…“異色のレジェンド”松田努はなぜ女子ラグビー指導の道に? 代表デビューの娘に送った“おめでとうLINE” 

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大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph byTakao Yamada

posted2022/08/05 17:02

全国出場ゼロ→日本代表の15番へ…“異色のレジェンド”松田努はなぜ女子ラグビー指導の道に? 代表デビューの娘に送った“おめでとうLINE”<Number Web> photograph by Takao Yamada

後ろ髪をなびかせながらピッチを駆け抜ける姿が印象的だった元ラグビー日本代表・松田努(52歳)

 松田が現役を引退した13年は、二女の凜日が小学6年生の頃だ。女子選手にとっては微妙な時期だった。

 小中学生の女子は男子と一緒にプレーすることが多いが、中学生になると男子の筋骨の成長が加速し、女子選手はそこでは勝負するのが難しくなり、結果、競技を離れてしまう子が多くなる。

 その対策として、松田さんは女子だけで練習できるラグビー教室を立ち上げた。名付けて「松田塾」。塾生はじわじわと増え、凜日が中3になったとき、松田塾の同期メンバーを中核として東京都スクール選抜チームが結成され、太陽生命カップ全国中学生大会に出場。準決勝で九州、決勝で神奈川を破り、みごと優勝を飾る。今回のサクラフィフティーンにも、そのときのチームメイトだったSH兼SO安尾琴乃が名を連ねている。

“東京五輪”を見据えた越境留学

 このときのメンバーたちが「高校へ行っても一緒にやりたい」と話したことが、松田が現在率いるブレイブルーヴの結成につながるのだが、凜日は親元を離れ、國學院栃木高校へ進学した。

 東京五輪は2020年、大学1年の夏に開催される予定だったため、五輪候補選手である凜日は、高校に入れば強化合宿が頻繁に入ることが分かっていた。合宿参加に理解のある高校を探した末の結論だった。

 実際、凜日の高校生活はほぼ合宿漬けだった。しかし、そのハードスケジュールは代償も大きく、高校3年間はケガとの戦いが続いた。そして、1年延期された東京五輪も直前までケガが治らず、夢破れ、15人制に転向することなる。

【次ページ】 娘の代表デビュー「おめでとう」

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