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2年生は7人…なぜ大阪朝鮮高は少人数で花園4強を掴めた? 野澤武史コーチが即答したその理由
posted2021/01/13 06:00
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph by
Kyodo News
104名。部員数にあらず。全校の男子生徒の総員である。女子は106名。計210名の小規模の学校だ。山間部ではない。海沿いの村でもない。大阪メトロ中央線の吉田駅が最寄りのはずである。
その大阪朝鮮高級学校のラグビー部が花園の全国大会で10大会ぶりに4強入りを果たした。1月5日の準決勝。この4日後には日本一となる桐蔭学園に12-40で敗れた。こちら神奈川の私学は「102名」。というのは部員数、全校の男子生徒は1977名、女子が1423名と資料にはあった。
「全力で戦った。胸を張ってほしい」
小よく大となり巨大に立ち向かった。39歳の社会科教師、権晶秀(コン・ジョンス)監督の敗戦後のコメントに実感はにじんだ。
部員は39人、指導には“慶應のゴリ”
学校の規模を考えれば、大阪朝鮮高が、激戦の大阪地区予選を突破、それどころか花園のセミファイナルまで進んだのは「快挙」と書きたくなる。そして41人(女子マネジャー2人を含む)の部員を確保していることも、また、快挙かもしれない。男子104人のうちの39人がラグビー部員なのだから。
激しいタックル。強固なモール。前へ前へと足を運ぶフィットネスと意識の高さ。「朝高(ちょうこう)」の伝統は健在であり、ひとつの試合を重ねるごとに跳躍できた。
なぜ? 花園ラグビー場でそれを語るにふさわしい人と会えた。
野澤武史。41歳。かつて神戸製鋼に所属、日本代表のフランカーにも選ばれた。ラグビー愛好者には「慶應のゴリ」の印象が強いかもしれない。慶應義塾高校主将で花園出場、大学でもキャプテン、野太いリーダーシップで鳴らし、のちに母校のコーチを務めた。ゴリは昔もいまも変わらぬ愛称だ。
ラグビーを離れた顔は出版社の代表取締役社長である。かの山川出版社、歴史書の老舗の経営を担う。さぞや多忙だろうに愛してやまぬラグビーの前線を離れない。余暇を用いては大阪朝鮮高の指導に足を運んできた。2012年に日本協会のコーチ研修で同校の呉英吉(オ・ヨンギル)前監督と知遇を得て以来の関係だ。
それは「慶應と名のつくチーム以外を教える初めての経験」だった。「声をかけていただいたので、いらないと言われるまでは、ずっと通おうと」。