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「這ってでもプレーすべきだった…」“W杯で戦えなかったキャプテン”森岡隆三が酔いつぶれた宮城の夜と「アメリカへの逃避行」
text by
森岡隆三Ryuzo Morioka
photograph byJMPA
posted2022/07/07 17:03
2002年6月18日、宮城で行われた日韓W杯の決勝トーナメント1回戦。日本はトルコに敗れ、ベスト16で大会を去ることになった
「勝ち進めば、またピッチに戻れる可能性も…」
グループリーグを首位通過した日本。決勝トーナメント1回戦の相手はトルコになった。
決勝トーナメントに進出したほかの国と比べると、それほど脅威を感じる相手ではないと思ったのが正直な感想だ。
「このまま勝ち進めば、またピッチに戻れる可能性があるかもしれない」
そんなことも考えた。しかし、
「イヤイヤ、使いものにならないだろう」
と思う自分もいた。日本の選手たちのパフォーマンスはツネに限らず、ここにきて高まる一方だ。いずれにしろ、私は私の立場で自分の役割をはたすべきだという考えに至った。
6月18日、トルコ代表と戦う宮城スタジアム(現・キューアンドエースタジアムみやぎ)には、雨が降っていた。
トルコという対戦相手に気が緩んだわけではないが、自国開催による期待と責任感を背負い、グループステージを突破した安堵感はあったと思う。そこに些細な油断が生まれ、それがほんの少しプレーの精度を欠くきっかけになったのかもしれなかった。これまでの3試合と少し異なっていたように感じられた。
日本は前半早々、自分たちのミスから流れを与え、コーナーキックを与える。
12分、そのコーナーキックをニアで合わされ、先制点を許してしまう。
そのあと日本もチャンスはつくったが、ゴールには至らない。
前半開始早々に与えてしまった1点が遠く、日本は最後まで挽回できなかった。
そして、タイムアップの笛が宮城スタジアムに虚しく鳴り響いた。
自国開催のワールドカップという日本サッカー最大のチャレンジが、ここに幕を閉じた。
早々に酔いつぶれた「宮城の夜」
試合後、宮城のホテルへ戻り、みんなで酒を飲んだ。最後の晩餐だ。
それぞれいろんなことを話したと思うが、早々に酔いつぶれた私には、その記憶がほとんどない。ペースが速かったのか、毎日の点滴や注射などが原因だったのかは、正直わからない。精神的な疲労も理由のひとつだったのかもしれない。
2002年、思えば半年間、ずっと自分のコンディションとの戦いだった。
そして、自分の心との戦いだった。向き合う時間から、自分の弱さにも気づいた。
夢にすら描けなかった憧れのワールドカップの舞台は、想像していたものにはならなかった。そして、いつしか気を失ったように眠りに落ちていた。