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「社会人野球の打診をカープが断った」19年前の広島ドラ1捕手・白濱裕太…18年間で一軍出場わずか86試合なのに、なぜ“戦力外”にならない?
posted2022/07/01 11:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
KYODO
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毎朝、スポーツ紙を開くと、ペナントレースの勝った負けたより、アマチュア野球やファームの記事のほうが先に気になるほうだ。
その朝も、イースタン・リーグ、ウエスタン・リーグの結果を眺めていたら、広島カープの出場メンバーの中に、「捕・白濱」という文字を見つけて、ん……と思った。
広島の白濱って、まだいたんだ……(失礼!)。
広島カープ、捕手・白濱裕太。
広陵高時代、その後巨人で奮投することになる西村健太朗投手(現・ジャイアンツアカデミーコーチ)とバッテリーを組んで大活躍。2年生のセンバツ以降、4回連続「甲子園」に出場し、3年春の大会では横浜高を破って全国制覇を成し遂げ、2003年のドラフト1位で広島カープに入団した大型捕手だ。
しかし、一軍出場はここまでわずか86試合。レギュラーマスクとして活躍した時期もなく、2015年以降は7試合でプレーしただけ。そんな控え捕手が、広島カープに選手として在籍して、今年で19年目。
どうしてだろう……何か「理由」があるはずだ。
高校生だった白濱の優しい言葉「いつでも代わりますから」
広陵高の大型右腕・西村健太朗の全力投球を受けさせてもらったのは、彼が3年生になる春。2003年のセンバツに出場する直前だった。
気温7度、凍えるようなみぞれが降っていたので、ピッチングは室内練習場で……ということになった。
ピッチング練習はすでに始まっていた。西村が渾身の力で投げ下ろす剛球の捕球音は、ドカーン!とも聞こえて、緊張が一気に高まったのを覚えている。
「だいじょうぶですか……?」
入れ替わりに捕手の位置に立った私に、白濱捕手がかけてくれたひと言が沁みた。