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「自分に対して『お前、バカじゃないの?』って」リーグ戦出場なしで現役引退… 川崎F・吉田勇樹コーチ32歳の心に残る“最大の後悔”
posted2022/04/13 17:46
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph by
KAWASAKI FRONTALE
偶然ではあるが、吉田勇樹コーチにインタビューをしたのは、日本代表がW杯出場を決めたオーストラリア戦当日だった。三笘薫が衝撃的な2ゴールを決めた、あの歴史的な一戦だ。
吉田はフロンターレU-18を経て、トップチームに上がった経歴の持ち主である。今回の最終予選のメンバーでいえば、板倉滉や三笘、田中碧と言った面々の先輩にあたる。近年、フロンターレ経由で日本代表に定着する人材が増えている現状に、OBとしての嬉しさと驚きを隠せないように笑った。
「僕がフロンターレユースのときには考えられないです(笑)。すごいですよね。多分、ジュニアができたのが大きいです。今は技術がみんなしっかりしていますから」
熱心な川崎フロンターレファンでない限り、現役時代の吉田のプレーを見たことのあるサッカーファンは稀かもしれない。主戦場は右サイドバックで、年代別代表も経験している。上背はないが、対人守備に強く、豊富な運動量を生かしたディフェンダーだった。
2008年にトップに昇格し、4シーズン在籍した。しかしJリーグ戦の出場数は0だ。公式戦出場は、2010年の天皇杯2回戦の1試合のみである。相手は鹿屋体育大学で、要はプロではなく大学生だった。そして2011年限りでスパイクを脱いでいる。まだ22歳の若さだった。
負傷に泣かされた4年間の現役生活
4年の現役生活は、自身の中でどんな記憶として刻まれているのだろうか。
「大きく言うと、ケガをしてばかりでした。正直、いい思い出はそんなにないですね」
少しだけ苦い表情で、かつての自分を述懐し始める。
「まずケガから入ったんです。高校の夏に鎖骨を折って、入団した年のキャンプで同じところを折って手術をして、復帰したのが6月ぐらい。そこから今度は肉離れを何回したのかって……」
リハビリ生活から始まったプロキャリアだった。
当時の川崎フロンターレは、優勝争いをする強豪クラブとして定着し始めた時期だ。競争は激しく、復帰したばかりの新人に出番が巡ってくるはずもない。吉田は気持ちをぶつける場がないまま時間を過ごし、そしてケガによる再離脱を繰り返す日々だった。