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阿部勇樹は10年前「プレミア名門のオファー」を断っていた… あえて《J2降格寸前だった浦和レッズ復帰》を選んだ真相
text by
塩畑大輔Daisuke Shiohata
photograph byMichael Regan/Getty Images
posted2022/01/21 17:01
レスター時代の阿部勇樹。マンチェスター・シティのコンパニともマッチアップした
プレミアリーグで出場機会が得られるだけではない。ヨーロッパリーグ、あるいはヨーロッパチャンピオンズリーグで、各国のビッグクラブと対戦できる可能性も十分にある。日本人サッカー選手の歴史を変えるかもしれない。そんな移籍話だった。
だが阿部は、喜ぶマネジメント事務所のスタッフに、こう告げた。
「実は、この冬のタイミングで、日本に戻ろうかと思っています」
快く送り出してくれた古巣が、苦境に陥っている。なのに、このまま自分はここにいていいのか。ずっと悩んでいた。そんなさなかのオファーは、阿部にとって決断のきっかけになった。
自分がヨーロッパで通用するのか。もともと、それを確かめるための挑戦だった。プレミアの有力クラブからの打診は、明確な「結論」になった。自分はこっちでも通用する。それを認めてもらえたのだ。
「あのタイミングで移籍をしていたら、引退まで」
後日。たった一度だけ、阿部は親しい友人に心中を明かすことがあった。
「あのタイミングでオファーに応じてプレミアに移籍をしていたら、引退までイングランドでプレーすることになったかもしれない。正直、そうしていたら……と考えることはあるよ」
オファーのタイミングで、浦和レッズがあれほどの苦境になければ。
のちにレスターをプレミア優勝に導いた岡崎慎司に先んじて、阿部はフットボールの母国イングランドで名を成していたかもしれない。
いずれにしても阿部は、日本に戻った。浦和レッズのキャプテンになり、チームの建て直しに力を注いだ。2015年、J1第1ステージ優勝。16年にはJ1第2ステージとルヴァンカップを制覇した。そして17年には、Jリーグ勢9年ぶりとなるアジアチャンピオンズリーグ優勝まで果たした。
その中で、サポーターにずっと語り継がれていくであろう場面も生まれた。
2015年。チームがシーズン開幕から、公式戦で3連敗したことがあった。試合後、埼玉スタジアムのサポーターは選手たちに厳しい言葉を投げかけた。
阿部はクラブスタッフの制止を振り切り、ひとりゴール裏スタンドに向かった。右手の人差し指を立てながら、怒れるサポーターに向かって叫んだ。
「まずひとつ勝たないといけないんだよ! オレたちそのために頑張るから! 応援してくれているのも見ているよ!だから一緒に戦ってくれよ!」
「オレはそればかりを思っていました」
みんながひとつになったら、本当にすごいことが起こせるはず――。
「戻ってきてからずっと、オレはそればかりを思っていました」
阿部はポツリと言う。