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阿部勇樹は10年前「プレミア名門のオファー」を断っていた… あえて《J2降格寸前だった浦和レッズ復帰》を選んだ真相
text by
塩畑大輔Daisuke Shiohata
photograph byMichael Regan/Getty Images
posted2022/01/21 17:01
レスター時代の阿部勇樹。マンチェスター・シティのコンパニともマッチアップした
2010年にレスターに移籍したとき、阿部はすでに29歳になっていた。「将来性」を理由に、なにかを大目にみてもらえる立場ではない。誰がどうみても、難しいチャレンジだった。
それなのになぜ、挑戦したのか。当時阿部は、周囲にこう言っていた。
「自分がヨーロッパでも通用するのか、確かめてみたいんです」
いつか引退するときに「挑戦さえすれば通用したんじゃないか」と思うのは嫌だ。技術も体力も充実している今こそ、確かめたい。そう思った。選手としてすでに成熟しているから、結論が出るまで時間はかからないはずだ。
長くて2年くらいだろうか。当初から、そう想定していた。
主力として活躍する一方で、浦和は残留争い
阿部は移籍直後から、チームの主力として活躍した。
2010-11シーズンはリーグ戦36試合に出場。うち25試合で先発起用された。過渡期のクラブにあって、技術的にも精神的にも落ち着いたプレーぶりは出色だった。
翌11-12シーズンもスタメン出場が続いた。プレミアリーグが興味を示しているという情報も、少しずつ届くようになっていた。そんな中でも、阿部はずっと古巣のことを気にしていた。
一方で2011年、浦和レッズはJ1残留争いに巻き込まれていた。選手間のトラブルも話題になるなど、クラブ全体が負のスパイラルに入ってしまっていた。
残留決定は最終節まで持ち越された。ホーム埼玉スタジアムでの柏レイソル戦。録画映像を、阿部もイギリスでみた。浦和は1-3で敗れた。他チームの結果に救われて残留できたが、1年を象徴するような苦しい戦いぶりだった。だがそれと同じくらい、阿部の印象に残った光景があった。
勝った柏は、初のJ1制覇を成し遂げた。J2から昇格したシーズンでの優勝は、リーグ史上初だった。黄色く染まったアウェー側ゴール裏に、選手たちが駆け寄る。「宇宙戦艦ヤマト」を原曲とする凱歌を、サポーターと一緒に歌い上げる。
阿部はその光景に、心を奪われてしまった。いまも目を閉じれば、あの映像が脳裏に浮かぶ。
語気を強めて、振り返る。
「サポーターのみなさんとクラブが1つにまとまると、すごいことが起きるんだなと。そう強く感じました」
プレミア名門から届いたオファーと、明確な「結論」
時を同じくして、阿部にオファーが届いた。
プレミアリーグ創設以来、2部に降格したことがない名門クラブ。監督本人が高く評価し、2012年夏のタイミングでの獲得を強く望んでいるという。
断る理由はないはずだった。