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《引退》玉田圭司は“2度泣いた” 南アフリカW杯、PK戦で敗れると「無表情で、一点を見据えて」、2度目はその半年後…
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJMPA
posted2021/11/17 11:01
2010年W杯パラグアイ戦、PK戦をチームメイトと肩を組んで見守った玉田(11番)。この後も11年間Jリーグでプレーを続け、今年11月11日に引退を発表した
「早く治してみせますから、と無理を言って」
「ワールドカップに出場するのはダメになったと、まず思った。でも、すぐに1カ月のケガならば治せると感じたんです。先生にはもっと長くかかってしまう可能性があるということを伏せてもらうようにお願いしました。早く治してみせますから、と無理を言って」
超音波などあらゆる治療を施して、その言葉どおりに1カ月弱で復帰を果たした。大会直前の強化試合イングランド戦では途中出場し、悩まされていた左足首の痛みも消えたことでコンディションに不安はなくなった。
4年前にブラジル戦でゴールを決めたとはいえ、ワールドカップで1勝もできなかった悔しさが残った。チームも批判にさらされ、何としても借りを返したいという思いが、玉田を突き動かしていた。もちろん自分が活躍して。アジア予選ではレギュラーを張ってきた自負もあった。
本田圭佑が1トップの座に
しかし復調してアピールを続けながらも、1トップの座にはMF登録の本田圭佑が入ることになる。玉田はサブの立場からチームを盛り上げ、支えていく。初戦のカメルーン戦に勝利し、3戦目のデンマーク戦にも勝って決勝トーナメントに駒を進めた。
グループリーグ突破後、ブログのなかで心境をつづった。
『今、チームがとても良い雰囲気でここまでこれて、勝利が決まった瞬間は出てない自分もついみんなの所に駆け寄ってしまいました。
試合に出たい気持ちはいつでも強く持ってる事には変わりありませんが、自分の中で何か変わったような気がしています』
自分の立場よりもチーム。分かっちゃいるのだが、それを自分のなかで受け入れていくのは容易ではない。「何か変わった」ことをポジティブに受け止めながらも、それでいいのかとささやくもう一人の自分もいる。寝る前になると必ずと言っていいほど悔しさとの戦いが待っていた。気持ちを鎮めるために日本で応援してくれる妻に電話を掛けたという。