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日本代表の中田英寿とペルージャの中田英寿は別人だった?《ジョホールバルの一撃》に“殺意”が感じられなかった理由

posted2021/11/16 17:01

 
日本代表の中田英寿とペルージャの中田英寿は別人だった?《ジョホールバルの一撃》に“殺意”が感じられなかった理由<Number Web> photograph by AP/AFLO

初のW杯出場に導く活躍を見せた中田英寿(当時20歳)。試合後のインタビューでは「楽しかった」と激戦を振り返っている

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金子達仁

金子達仁Tatsuhito Kaneko

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1997年11月16日、日本が初めてW杯出場を決めた日。あれから20年以上を経過した今も、日本男子サッカー史上の最重要ゴールは「ジョホールバルの一撃」であり続けている。その瞬間すら自らゴールを狙ってはいなかった男は、半年後ゴールゲッターに変身した、はずだった――。【初出:Sports Graphic Number 1001号(2020年4月20日発売)/中田英寿「殺意なき弾道の理由」より】※肩書などはすべて当時

 日本代表のキャプテンが黄金のワールドカップを掲げるその日まで、中田英寿が打ち、岡野雅行が押し込んだジョホールバルでのゴールデンゴールは「日本男子サッカー史上最も重要なゴール」であり続けるはずである。

 あまりにも、あまりにも多くのものを日本にもたらしたあのゴールの重要性を超えるのは、澤穂希のアクロバチックなボレーのような、つまり日本を世界一に導く一撃でなければならない。いつかはきっと訪れるはずだけれど、その日が来るまでは、岡野がスライディングしながら決めたゴールデンゴールこそが、史上最も重要なゴールであり続けるはずだとわたしは思う。

 幸せなことに、わたしは2人の当事者からあのゴールについての肉声を聞くことができた。それまで決定機をフイにしまくっていた岡野は、「このままでは日本に帰れない」との恐怖に駆られながらプレーしていた。必要があったとは思えないスライディングでこぼれ球に合わせたのは、精神的に崖っぷちまで追い詰められていたあの時の彼にとって、それが最も安全で正確なキックの方法だったからだった。

「あのコースにシュートを打てば」

「楽しかった」と言っていたのは中田だった。「やっていて笑いが止まらなかった」とも。自分が完全に試合を支配しているという全能感、高揚感がそうさせたのだろうか。余裕など1ミリもなかった岡野と違い、彼は憎らしいほどに冷静だった。

「向こうのGKが手を痛めてるのはわかってたから、あのコースにシュートを打てば弾くのが精一杯だろうなって」

 つまり、あの極限状況にありながら、彼は自分のシュートが弾かれるところまでイメージをして打っていた。そのことは、97年の段階でわたしも本人から聞いていた。

 いまになって改めて思う。

 なんてオトコだ、中田英寿。

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