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《引退》玉田圭司は“2度泣いた” 南アフリカW杯、PK戦で敗れると「無表情で、一点を見据えて」、2度目はその半年後…
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJMPA
posted2021/11/17 11:01
2010年W杯パラグアイ戦、PK戦をチームメイトと肩を組んで見守った玉田(11番)。この後も11年間Jリーグでプレーを続け、今年11月11日に引退を発表した
2度目の涙は、その半年後にあった。
苦境を乗り切った男というものは強い。南アフリカから帰国して以降、グランパスでは絶対的なエースとしてゴールとチャンスメークで首位を走るチームをなおも勢いづけていた。
優勝の瞬間、彼はしゃがみ込んだ
11月20日、アウェーでの湘南ベルマーレ戦。
優勝のプレッシャーもあって硬さが見えるチームのなかで、玉田はどこか楽しそうだった。スコアレスの嫌な雰囲気を断ち切るように、右からのクロスにヘディングで飛び込んだ。リーグ初制覇に導くゴールを決めた。
優勝の瞬間、交代してベンチに下がっていた彼はしゃがみ込んで目にタオルを当て、大泣きした。いろんな思いが交差し、涙となって溢れ出た。
「まだ終わっていないプレーヤーであることを見せられたと思う。ワールドカップは心残りだったとしても結果的にはいい方向にいきました。人間的にも凄く成長できたと感じています」
彼はそう言って優しく笑った。
あの2度の涙が、息の長いプレーヤーに仕立てた。
悔しさと嬉しさは糾える縄の如し。
どちらかだけに引っ張られない玉田圭司が出来上がった。
11月28日のホーム最終戦後に引退セレモニー
悪い流れにあろうとも、良い流れにあろうとも、プレーできる喜びを味わい、ピッチでは「楽しく」を忘れない。プロキャリアは荒波の連続。それを受け入れたうえで、前に漕ぎ出していかなければならない。
2014年限りで名古屋を契約満了で退団してからもセレッソ大阪、名古屋への復帰、そして長崎でコンスタントに出場を続けた。J1通算366試合99ゴール、J2通算162試合34ゴール。素晴らしい23年間のプロキャリアをまっとうした。
11月28日のホーム最終戦後に引退セレモニーが待っている。
荒波を乗り切ってゴールにたどり着いたストライカーに、きっと涙はないだろう。さわやかな“玉ちゃんスマイル”に出会えるような気がしている。
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