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FW宮市亮28歳に聞く、アーセナル冨安健洋をどう見ていますか?「面識はないですけど…彼はすごい」「当時ロシツキーは本当に親切でした」
posted2021/10/30 11:05
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
Getty Images
「19歳の頃のことですよ」
本人はそう照れ笑いを浮かべるが、宮市亮の印象的なプレーとして、ボルトン時代の12年2月25日の対チェルシー戦で、左サイドを一気にぶち抜いたシーンを覚えている人は多いだろう。惜しくもラストパスはチェルシーDFに阻まれゴールには繋がらなかった。だが、イングランド代表DFケーヒルとセルビア代表DFイバノビッチをまだ10代だった日本人選手が自慢のスピードで置き去りにする様は、見ていて痛快そのものだった。
そのシーズン、ボルトンでプレミアリーグの12試合に出場した宮市は、翌シーズンのウィガンへのレンタルを経て、13-14シーズンに満を持してアーセナルに復帰したものの、リーグでの出場はわずか1試合のみに終わるなど苦汁を味わうことになった。
宮市の前後にも、稲本潤一(2001-04)、浅野拓磨(2016-19)といずれも日本代表経験者がアーセナルの門を叩いているが、その壁は厚く、ほとんどの時間をレンタル先で過ごすなどリーグ戦での出場は叶わなかった。
「面識はないんですけど、本当にすごい」
それだけに今季、イタリアのボローニャからアーセナルに移籍した日本代表DF冨安健洋が加入直後から右サイドバックのレギュラーとしてプレミアリーグで出場を続けていることは評価されるべきことなのかもしれない。もちろん、宮市や稲本、浅野が海外初挑戦でアーセナル入りしたのに対し、冨安はベルギーとイタリアですでに3年半のキャリアがあったという違いはあるにせよ、である。
宮市がアーセナルを去ってから、はや6年が過ぎた。いまでは1試合通してアーセナルの試合を見ることはほとんどないというが、ハイライトなどで情報は見聞きしているという。冨安をどう見ているのだろうか。
「面識はないんですけど、本当にすごいと思います。僕はリーグ戦では1試合に出ただけ。ベンチに座らせてもらったことは何回もありましたが、当時はエミレーツ・スタジアムのベンチからタッチラインの向こう側が遥か遠くに感じましたから。90分フルに出続けていて、冨安くんは完全にレギュラーですよね。このまま出続けていってほしいです」
『オレもエジルみたいなパスが出せたら…』
まだ中京大中京高に在学中の18歳で契約を結んだとき、宮市はアーセナルで長くプレーすることを夢見ていた。半年後にアーセナルに加入したオクスレイド・チェンバレン(現リバプール)は、年齢は1つ下だが同期といえる存在だった。移籍2年目には、そのチェンバレンが出場機会を手にし、比較することで焦りが生まれ、いつしか自分にフォーカスすることを忘れ、周りの目ばかりを気にするようにプレーしていたと振り返る。