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「医師からは引退勧告もされました」“2度の大ケガ”を味わったFW宮市亮28歳は今…初のJリーグ挑戦で「想像以上にJのレベルは高い」
posted2021/10/30 11:04
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
Y.F.M.
「正直、18歳で海外に出たときに思い描いていたキャリア像と(いまの自分)はかけ離れています。ある医者の先生からは引退勧告もされたり、落ちるところまで落ちましたし。ケガで苦しむ時間が長かったぶん、健康でいられることのありがたみを感じているというか。
この10年、サッカーができることは当たり前じゃない、自分1人ではなくいろいろな人に支えられてサッカーができているんだということを身をもって体感してきました。だから、いまはサッカーで起こる良いことも悪いことも、すべてポジティブに捉えられるみたいな(笑)。また、こうしてプレーできていることに喜びを感じていますし、やれるところまでやりたいと思っています」
今夏、ドイツ2部のザンクトパウリから横浜F・マリノスへ完全移籍で加わった宮市亮は、そう言うとパソコンの画面越しに笑顔をみせた。
ドイツでもオファーがあったが、F・マリノスを選んだ理由
まだ中京大中京高に在籍していた2010年12月、宮市は18歳でイングランドの名門アーセナルと契約。Jリーグクラブを経由せずに海外に飛び出し、2010-11シーズンにレンタル先のオランダ1部フェイエノールトでリーグ12試合出場3ゴールと自慢のスピードを武器に華々しいプロデビューを飾った。
その後はボルトン、ウィガン(ともに当時イングランド・プレミアリーグ)、トゥエンテ(当時オランダ1部)とレンタル移籍を繰り返し、2015年にはザンクトパウリへ新天地を求めた。ザンクトパウリではサッカー選手にとって“致命傷”ともいわれるひざの前十字靭帯を左右とも断裂し、17-18シーズンには公式戦出場ナシという屈辱も味わった。
25試合に出場し5得点と復調の兆しを見せたのは18-19シーズン。さらに翌19-20シーズンは29試合出場とキャリア最高のシーズンを送った。だが、20-21シーズンは再びケガに悩まされ、リーグ戦の出場はわずか1試合に。宮市が横浜F・マリノスへの移籍を決めたのはそんな折で、ドイツの他クラブからもオファーがあったという。
「故障が多かったにもかかわらず、6シーズンもお世話になったザンクトパウリには感謝しかありません。昨季はグローインペイン(脚の付け根の痛み)が長引いてしまい、結局1試合に出ただけ。移籍については今後のキャリアにフォーカスし、ケガが多かったことを考えると医療環境が充実している日本に戻ってくるのがベストだと判断しました。F・マリノスに熱心に声をかけてもらい、攻撃的なスタイルも魅力的で自分に合うと思ったんです」
「(前田)大然の動きは参考にしています」
7月上旬に横浜FMに合流し、8月6日のガンバ大阪戦(○3-2)で初めてベンチ入り。
9月18日の対名古屋グランパス戦(●1-2)の後半10分にJリーグデビューを果たした。