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亀井善行39歳「若手はライバルじゃない」なぜ亀ちゃんは巨人軍で17年間も生き残れた? 大物ドラ1もFA組も…“亀井に負けた”外野手たち

posted2021/10/26 11:05

 
亀井善行39歳「若手はライバルじゃない」なぜ亀ちゃんは巨人軍で17年間も生き残れた? 大物ドラ1もFA組も…“亀井に負けた”外野手たち<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

10月23日のヤクルト戦後、亀井善行(39歳)の引退セレモニーが行われた。ファンにお別れの挨拶をする亀井

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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Nanae Suzuki

「1番左翼・清水隆行、2番遊撃・二岡智宏、3番中堅・ローズ、4番三塁・小久保裕紀、5番捕手・阿部慎之助、6番一塁・清原和博、7番右翼・亀井義行、8番二塁・仁志敏久、9番投手・マレン」

 これは亀井善行が1軍デビューした2005年7月9日広島戦の巨人スタメンである。当時は背番号25、登録名も「亀井善行」に変更前で、7番ライトで先発出場。巨人はタフィ・ローズや小久保裕紀、さらに清原和博といった「他球団の4番コレクション」と揶揄された豪華メンツがずらりと顔を揃え、自軍先発投手は横浜でもプレーした懐かしのスコット・マレンだった。ちなみにこの年のチーム最多勝投手は11勝をあげた42歳のFA投手・工藤公康だ。まさに、暗黒期真っ只中。混迷を極めた堀内監督最終年のスコット悪太郎期である。

 松井秀喜がヤンキースへ去り、高橋由伸も徐々に怪我がちとなり、まるで長嶋巨人の抜け殻のような史上最強打線の残骸。坂本勇人や長野久義はまだ入団前、そんなどん底のチーム状況で苦しみあがきなから必死にプレーしていた若手選手が、当時20代前半の亀井善行だった。多くのファンはその背中に何かを見た。大袈裟に書けば暗闇の中の「希望」とか「未来」みたいなものだ。

イチローも「チームにいてくれたら助かる選手」

 亀井は上宮太子高、中央大とアマチュア時代から名の知られた選手だったが、ドラフト順位は2004年4巡目での入団である。1年目にプロ初安打、2年目にプロ初本塁打と一歩一歩階段を上がり、その走攻守揃った使い勝手の良さから徐々に出番を増やしたプロ5年目、09年の覚醒は今でも語り草だ。春に第2回WBCの日本代表に選出され、あのイチローからも「亀井っていい選手ですね。チームにいてくれたら助かる選手です」と絶賛された若者は、原巨人の5番打者として定着。この年から背番号9を背負う27歳はサヨナラ弾3発を含む25本塁打を放ち、守っては外野手でゴールデングラブ賞を獲得してチームは日本一に。ショートを守る弱冠20歳の坂本、育成出身で09年新人王の松本哲也、そしてドラフト4位から這い上がった亀井ら若い力はまさに新しいチームの象徴でもあった。

32歳FA宣言するべきか…原監督に相談

 だが、翌10年に同じ外野手で長野久義という完成された即戦力のドラ1ルーキーが入ってくる。

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