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セルジオ越後17歳を「サトウ、うまいじゃないか」とホメて、75歳で25歳年下の日系人女性と結婚… ペレと日本の意外な縁 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byGetty Images

posted2021/08/16 11:02

セルジオ越後17歳を「サトウ、うまいじゃないか」とホメて、75歳で25歳年下の日系人女性と結婚… ペレと日本の意外な縁<Number Web> photograph by Getty Images

フットボール界の王様ペレとC・ロナウド(2013年撮影)

ヒールリフトを初めて成功させたのは日系人?

 カネコはドリブルが得意な右ウイングで、この年3月のサンパウロ州選手権の試合でヒールリフト(両足の間にボールを挟んで踵で体の背後から跳ね上げ、相手の頭上を越して抜き去るプレー)でマーカーを抜き去り、クロス。これをゴール前に走り込んだ選手がヒールシュートで決めた。

 ヒールリフトは、その後、ロナウジーニョらがやって有名になり、ネイマールも得意とするが、公式戦で世界で初めて成功させたのがカネコとされている。

 カネコは、「あのプレーの直前、ペレがパスを要求する声が聞こえた。でも、それを無視してヒールリフトを試みた」と語っている。

 しかし、ペレはカネコに対して気分を害することはなく、「あのプレーだけは、いくら練習してもできないんだ。カネコ、お前はすごいな」と逆に褒めてくれたという。

 1972年5月、ペレはサントスの一員として来日し、超満員の東京国立競技場で日本代表と対戦した。日本代表は守備力に定評がある山口芳忠にマンマークさせたが、後半、ペレは山口らを浮き球などでかわして2得点を叩き込んだ。観衆はペレの妙技に魅せられ、感激して泣き出した人もいたという。

 また、1984年には日本が誇る名ストライカー釜本邦茂の引退試合に招待され、試合後、釜本を肩車して敬意を示した。

プライベートでも日系人とかかわりが

 私生活でも、日系人と関わりがあった。

 ペレが育ったサンパウロ州バウルーには日本人移住者が多く住んでいた。一家の隣が日系人のサカイ一家で、ネウザという娘にペレは一目惚れした。ネウザの顔を見るため頻繁にサカイ家を訪れ、ネウザもペレが出場する試合の応援に行った。

 15歳のとき、ペレはサントスの入団テストを受けて合格。ネウザと離れ離れになる。それでも、1958年W杯で優勝してバウルーへ凱旋するとサカイ家を訪れ、「僕のあなたへの愛の証として、これを受け取ってほしい」と裏に記したW杯でのプレー写真をネウザに手渡している。

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