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セルジオ越後17歳を「サトウ、うまいじゃないか」とホメて、75歳で25歳年下の日系人女性と結婚… ペレと日本の意外な縁
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2021/08/16 11:02
フットボール界の王様ペレとC・ロナウド(2013年撮影)
他にも、ペレの意外性に満ちたプレーは枚挙に暇がない。創造性はペレが最高で、彼に続くのがマラドーナ。以下、メッシ、ネイマール、CRの順ではないか。あくまでも私見だが、選手としての総合能力はペレ、マラドーナ、メッシとCR、そしてネイマールの順となる。
ネイマールが自らの記録に迫っていることも喜ぶ
ペレは、人間性も素晴らしい。そのことを表わすのが、サントスとブラジル代表の後輩であるネイマール、ロビーニョ(2000年代前半から2010年代後半にかけてサントス、レアル・マドリー、ACミランなどでプレー)との関係性だ。
現在、ネイマールはセレソンで112試合に出場して68得点をあげている。試合数こそペレよりずっと多いが、ペレの通算得点記録まで9点差。まだ29歳で、今後、ペレの記録を追い抜く可能性が高い。
ネイマールについて、ペレはこう語っている。
「彼が私の記録に迫っているのは、とても嬉しい。彼のプレーは、見ていて楽しい。これからも、セレソンのために多くの得点をあげてもらいたい」
ネイマールは、「キングから暖かい言葉をかけてもらって感激した」と答えている。
また、ロビーニョがまだサントスのU-15でプレーしていた頃、クラブ関係者が「クラブ史上、ペレに次ぐ才能が出現した」と騒ぐのを聞いてクラブの練習場まで足を運び、そのプレーを観察。「プレースタイルも風貌も、私の若い頃によく似ている」と話した。
ただし、ロビーニョが小さくて痩せており、それが家庭が貧しくて十分な栄養を取れないのが原因と知ると、「クラブの規則で地元出身の選手が下部組織の選手寮に入れないのは知っているが、特例として選手寮へ入れて栄養十分の食事を与えてやってくれないか」とクラブ首脳に願い出たというエピソードがある。
17歳だったセルジオ越後のテクニックを褒めた
ペレは、日本、日系人と少なからぬ縁がある。
1962年、当時17歳だったセルジオ越後(元コリンチャンスなど。現解説者)がサントスのスタジアム近くの空地で友人とボールを蹴っているのを見て感心し、「サトウ、うまいじゃないか」と肩を叩いたという。ちなみに、「サトウ」というのはバウルーに住むペレの知り合いの日系人の名前だった。
1968年には、サントスでアレシャンドレ・カネコという日系人選手と一緒にプレーした。