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「律、お前は天才とちゃうで」「やることはガンバと全く一緒やねん」中学生の堂安や谷晃生、林大地を育てた名伯楽が語る秘話と今
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph byJFA/AFLO
posted2021/08/03 06:01
それぞれの道を経て五輪の舞台で戦う堂安律と林大地。育てた名伯楽もまた今なお奮闘している
何も言わなくてもアピールに燃え、技を繰り出すガンバ大阪の選手たちと異なり、技術も経験値も劣る選手が多いFCティアモのジュニアユース。一方で大阪府トレセンや地域トレセンレベルの選手も所属している。
「子供らのプレーでストレスがたまることはいっぱいあるけど、それも楽しみの一つやね。まだ上手くない子が自信をつけてくれたら楽しいし、今はアカデミーを大きくしていく作業やから」
「ないない尽くし」だったガンバのアカデミー
今でこそJリーグ屈指の規模と歴史を誇るガンバ大阪のアカデミーだが、実はその創設初期は「ないない尽くし」だった。
土のグラウンドを転々とし、鴨川さんが当時乗っていたスクーターのライトや発電機が照明代わり。それでも稲本や橋本英郎、大黒将志を育てた実績とノウハウが鴨川さんには備わっている。
育成のエキスパートは「10年はかかるよ」と長期的な視点でFCティアモの土台づくりに取り組んでいる。今目指すのは第2の堂安を作ることではなく、U-24日本代表にギリギリで滑り込んだ、もう一人の教え子のような選手を見つけ出すことである。
名伯楽でも林のポテンシャルは見抜けなかった
多少の紆余曲折はあったものの世代別代表の常連で、いわゆるエリート街道を歩んで来たのが堂安と谷。一方で、当初はバックアップメンバーの一人だったはずの林は、鴨川もそのポテンシャルを見抜けなかった遅咲きのタレントだった。
今でこそそのパワフルでエネルギッシュなプレースタイルから「ビースト」の異名を持つ林だが「ガンバの同世代の中でも中の下ぐらいで、全然レギュラーちゃうかった。中学3年の時は、途中から出場してチャンスを作るようなタイプやったけど、スピードでゴリゴリ行ったり、オフザボールでああいう動きをするタイプじゃなかったね。中盤でオールラウンダー的なスタイルやったからね」(鴨川さん)。
2012年に中国で行われたマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップの決勝ではフィールドプレーヤーが14人登録され、うち2人が喧嘩したことで鴨川さんの逆鱗に触れ、サブだった林にチャンスが回って来た。チームは敗れたものの林はゴールをゲットしたという。