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木村沙織が明かした主将・荒木絵里香との思い出 初対面は中2、間違えて履いた“絵里香さんの靴下”…「嬉し泣きが見たいです」 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byRyu Makino/AFLO

posted2021/07/19 11:03

木村沙織が明かした主将・荒木絵里香との思い出 初対面は中2、間違えて履いた“絵里香さんの靴下”…「嬉し泣きが見たいです」<Number Web> photograph by Ryu Makino/AFLO

高校時代から先輩・後輩として多くの時間を共有してきた荒木絵里香と木村沙織(2016年リオ五輪最終予選)。荒木は大会期間中の8月3日に37歳を迎える

 2004年初夏、大阪・貝塚では女子バレー日本代表のアテネ五輪出場をかけた選考合宿が行われていた。高校生で選出された木村のほか、荒木や大山加奈、栗原恵など若手選手たちは、吉原知子や竹下佳江といった経験豊富なベテラン勢と厳しい練習を重ね、12名の座を争っていた。五輪と他の大会の違いがわからなかったという木村に対し、当時の荒木は「何としても残りたい」と鼻息荒く、闘争心も丸出し。何とかアピールしようと必死だった。

 だが、アテネ五輪出場をかけた最終予選に出場する12名から荒木は落選した。他の選手たちは悔しさを隠しながら笑顔で「頑張ってね」と手を振り、合宿所を去る。唯一の例外が荒木だった。

「(荒木が所属する)東レのスタッフが迎えに来てくれて、車の後ろに乗った絵里香さんはもう誰が見てもわかるぐらい、がっくり頭を下げて、(選出された)私たちの顔も見ないんです。悔しくて泣き叫んでいたし、あんなに自分の感情を出す人を見たのは初めてでした」

「私もうまくなりたい」

 驚かされたのはそれだけではない。むしろ五輪後に見せた、荒木の変化だ。

 アテネ五輪の翌年、木村も東レへ加入し、再び荒木とチームメイトになった。初めて会った時と同様、大きさは変わらぬ武器ではあったが、スピードを高めるためにトレーニングを重ねて身体を絞り、バレーボールの技術も見違えるほどレベルアップしていた。

「落とされてからの這い上がり方がすごかったんです。私が言うのもおこがましいですけど、どうにかしてうまくなってやる、絶対に自分で日本代表をつかみたい、試合に出たい、というのが溢れていて。その姿を見たら私もうまくなりたい、東レでも日本代表でも絵里香さんと一緒に結果を出したい、という気持ちが強くなった。それからは全部さらけ出して、絵里香さんには何でも言えるようになりました」

 日本代表で国際大会を戦う時は、世界の強さやチームの課題について「あれはないでしょ」と互いの本音をさらけ出した。日本一を目指した東レでは、タオルを投げつけて敗戦の悔しさを共有した。時にはコートの防御壁を蹴とばしてスタッフに怒られたこともあったと笑う。

 その中でも「濃かった」と木村が振り返るのは、ロンドン五輪へ向かう4年間だ。

【次ページ】 荒木が木村にぶつけた思い

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