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木村沙織が明かした主将・荒木絵里香との思い出 初対面は中2、間違えて履いた“絵里香さんの靴下”…「嬉し泣きが見たいです」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byRyu Makino/AFLO
posted2021/07/19 11:03
高校時代から先輩・後輩として多くの時間を共有してきた荒木絵里香と木村沙織(2016年リオ五輪最終予選)。荒木は大会期間中の8月3日に37歳を迎える
2009年、荒木は日本代表の主将に就任。なんでも言い合える先輩の抜擢に「ただただ、大喜びだった」と言う木村に対し、ミドルブロッカーのポジション争いに身を置いていた荒木は、主将でありながらなかなか試合に出場できなかったことで葛藤していた。試合に出ても結果を残すことができず、連戦のたびに顔が青白くなり、目の下のクマが濃くなる。選手として、主将としての重責にもがく荒木は、木村に何度も思いをぶつけた。
「私がキャプテンである意味って何だと思う? 私がキャプテンじゃないよね?」
それでも、国際大会は翌日も試合が続く。アテネ五輪で落選した時もそうだったが、次へ向け、再び立ち上がる荒木の強さを木村はいつも目の当たりにしてきた。
「絵里香さんはどれだけ落ちこんでも、絶対やめないんです。誰だって試合に出られない時期が続けば『練習してもどうせ出られないでしょ』とネガティブになることもあるじゃないですか。絵里香さんも口ではそう言うんです。でも、身体は逆。チームで一番トレーニングをするし、早朝からプールで身体を動かす。いつも、誰よりも全力でした」
迎えた2012年のロンドン五輪。日本が全セット2点差で勝利をつかむ激闘となった準々決勝の中国戦や、韓国との3位決定戦。エースの木村はもちろんだが、コートに立った荒木も積み重ねた努力がプレーに現れ、悲願の銅メダルを獲得した。
絵里香さんがいない4年間
その後、荒木は「長くバレーボールを続ける」ために結婚と出産を選択し、産休に入った。一方の木村は「もうやりきった」という思いを抱きながらもリオ五輪を目指すことを決断し、2013年からは日本代表主将に就任。だが、“隣に絵里香さんがいない4年間”は、これまでとは全く違う、まるで別世界にいるような気分だった。
「ワーっと熱くなる感じはなかったですね。もちろんその時一緒に戦うメンバーと一生懸命頑張っていることに変わりはないんですけど、どこかで自分をつくって、頑張って楽しもうとしているから、素の自分ではない。空っぽ、みたいな感じだったのかな」
自身のパフォーマンスで引っ張る、と吹っ切ることもできず、代表経験の少ない周囲を気遣うことばかりに意識が向く。何か違う、と思っても感情をさらけ出せる相手はいない。世界選手権、ワールドカップと思うような結果が出せず、「キャプテンを辞めさせて下さい」と眞鍋政義監督に直談判したこともあったという。
ようやく靄が晴れたのは、リオ五輪出場を懸けた2016年の最終予選だ。