“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
高校生・宮市亮の背中を押した本田圭佑の言葉とは? マリノスで誓う第二章、輝く目は10年前のあの時から全く変わっていない
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2021/07/10 11:05
中京大中京高2年の宮市亮。海外挑戦に迷いがあったが、本田圭佑の言葉に背中を押されてイギリスへ飛び立った
そんな迷える青年の背中を押したのが、オランダリーグからCSKAモスクワ(ロシア)へステップアップを果たした本田圭佑の言葉だった。当時の本田はVVVフェンロの絶対的エースとして君臨してチームを1年で2部から1部復帰へ導くなど、着実に実績を積み上げていた。筆者が現地で聞いた彼の言葉をアドバイスとして宮市へ送った。
“俺はもっと早い段階で海外に行きたかった。自分の人生プランでは遅いほうだと思う。若いうちに海外に挑戦したほうが絶対にいい”(本田)
愛知県出身の宮市は、地元・名古屋グランパスでルーキーイヤーから活躍する本田の姿に大きな影響を受けていた。この言葉を耳にした瞬間、18歳の表情が変わったのがわかった。
「やっぱりそうなんですよね……。自分の思っていることが、世界で活躍している選手が思っていることと一致しています」
すでに宮市の中で答えは出ていた。だが、周囲の意見やJクラブから懸けられる期待も感じたことで、それを明確に口にすることを躊躇していたのだ。海外で活躍する日本のトップランナーに勇気をもらえたことで、胸のつかえが下りた。
「ありがとうございます。凄くすっきりしました。やるからにはとことんやります」
「自信があるからこそ、この決断をした」
その言葉から5カ月後の2010年8月、アーセナルの練習に参加した宮市は正式オファーを獲得。翌年1月に高校最後の大会となる選手権を戦い終え、彼は夢と希望を胸にイングランドへと飛び立った。
当時、宮市はこんな抱負を語っていた。
「これから起こることは、すべて簡単なことではないことは分かっています。でも、僕だって自信があるからこそ、この決断をした。スピードでは誰にも負けない自信があるし、それは僕の生命線でもある。これを武器に世界で戦っていきたいと思っているので、もっと磨きをかけていきたいです。
どんなことがあっても、すぐに日本に帰ってくるような真似はしたくありません。もし試合に出られないという状態になったら、『まだ早かった』と批判されるかもしれませんが、その覚悟はできているし、苦しい時期を迎えたとしても、ヨーロッパで戦い続けられる選手になりたいと思っています」