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高校生・宮市亮の背中を押した本田圭佑の言葉とは? マリノスで誓う第二章、輝く目は10年前のあの時から全く変わっていない
posted2021/07/10 11:05
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
稀代のスピードスターが日本に帰ってきた。
7月5日、横浜F・マリノスはザンクトパウリ(ドイツ2部)からFW宮市亮を完全移籍で獲得したことを発表した。今年の12月で29歳となる宮市は、これまで海外6クラブを渡り歩き、今回がキャリアで初めてのJリーグ参戦となる。
彼が中京大中京高からイングランドの名門、アーセナルに加入したのは2011年のこと。高校生がJリーグを介さずに海を渡るという決断は各所で大きく報じられた。
しかし、宮市を待ち受けていたのは、度重なる怪我との戦いとヨーロッパの熾烈な競争だった。
レンタル移籍で転々、怪我との戦い
プロ1年目、出場機会を優先するべく、アーセナルからフェイエノールト(オランダ)へレンタル移籍した宮市は、2011年2月6日のフィテッセ戦で18歳1カ月23日という欧州主要リーグの日本人最年少デビュー記録を更新。リーグ戦12試合出場3ゴールと上々のプロ生活をスタートさせ、翌シーズンはアーセナルへ復帰を果たした。
しかし、各国の代表メンバーが揃う分厚い選手層を前に出場機会を失い、12年1月に同じプレミアリーグのボルトンにレンタル移籍。2月11日ウィガン戦で途中出場し、日本人最年少となる19歳1カ月28日でのプレミアリーグ初出場を果たすなど、レギュラーに定着した。だがチームが2部へ降格したことで、翌シーズンには早くも4クラブ目となるウィガンへレンタル移籍。出番に恵まれない中、12年11月には右足首靱帯を負傷。ここから度重なる怪我に泣かされるようになる。
13-14シーズンは三度アーセナルに戻るも肋骨の骨折などで出遅れ、14年9月に2度目となるオランダリーグのトゥエンテにレンタル移籍。翌シーズンは心機一転を図るべく、ドイツ2部のFCザンクトパウリに完全移籍するも、開幕前に左膝前十字靭帯を断裂する苦しいスタートに。ザンクトパウリにはキャリア最長の5シーズン在籍をしたが、2度の大怪我など波のある時間を過ごし、今季も膝の怪我で苦しみわずか1試合の出場に終わっていた。
ボルトン時代にチェルシー戦で見せた高速ドリブルなど、インパクトあるプレーは日本でも報じられた。しかし、10年間の結果だけを振り返れば、宮市の海外挑戦に対して疑問を投げかける人は多いのかもしれない。