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【追悼】“超人的に頑張る男”ユ・サンチョルが日本で一度だけ流した「悔し涙」…通訳が明かす“兄貴分”の素顔
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/06/24 11:00
13日のルヴァン杯、横浜F・マリノス×北海道コンサドーレ札幌の試合前には、ユ・サンチョルさんをしのんで、黙とうがささげられた。
洪明甫(ホン・ミョンボ)、黄善洪(ファン・ソンホン)を擁していた柏レイソルに3人目の韓国代表が加入してきた。それが1999、2000年に横浜F・マリノスで主にフォワードとして活躍していたサンチョルであった。
「ファン・ソンホンはサンチョルの大学時代の先輩なので、よく2人で一緒にいましたね。先輩2人の存在もあって、チームを引っ張るとかそういうところまでの意識はなかったように思います」
レイソルで1シーズン半過ごして、Kリーグの蔚山現代に復帰。そしてブラジル代表カフーを獲得できなかったF・マリノスから再び呼ばれ、彼は日本へとやってくる。高橋もこのタイミングでF・マリノスのスタッフに入ることになった。
彼を慕うチームメイトも多く、兄貴分的な存在だった
経験豊富な31歳は「本人がそのポジションで起用されるとは知らなかった」(高橋)サイドバックで起用されることになったが、見事に指揮官の期待に応えてファースト、セカンド両ステージ制覇に貢献する。彼を慕うチームメイトも多く、兄貴分的な存在でもあった。
高橋には「彼が入団当初にちょっと緊張した思い出があった」という。
サンチョルはレイソル時代の2001年、FC東京との試合で自身の報復行為による小競り合いから佐藤由紀彦(現在はFC東京コーチ)の歯を折って出場停止処分を受けたことがある。
その2人が同じチームで再会して、雪解けの雰囲気もなかったことから高橋は岡田武史監督に2年前の出来事を報告しておいた。
「岡田監督からは“2人を呼び出して何かするってことはない”と言われていたのに、リラックスを目的としたミニゲームで両チームのキャプテンを彼ら2人にしたんです。そうしたら監督が“キャプテン同士なんだから、まず握手しろ”と。サンチョルもこれはやられたなって感じで苦笑いしていました。みんなの前で握手するわけですから、これをきっかけに過去のものになったように思います」
高橋はレイソル時代に3人を担当していたが、F・マリノスの2003年シーズンではサンチョルだけ。ゆえに2人でじっくりと話をすることも少なくなかった。
悔し涙を流したことが一度だけあった
弱音を聞いたことは一度たりともないという。だが、悔し涙を流したところを目にしたことが一度だけあった。