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【追悼】“超人的に頑張る男”ユ・サンチョルが日本で一度だけ流した「悔し涙」…通訳が明かす“兄貴分”の素顔
posted2021/06/24 11:00
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE
電話越しに、すすり泣く声が聞こえた。
「亡くなったと分かっても僕のなかではまだ半信半疑でね。だってあの人、頑張り屋さんっていう言葉じゃ足りないくらい超人的に頑張るんですよ。私はその姿を試合でずっと見てきていましたから。だからまだ実感がないんです」
横浜F・マリノス、柏レイソルなどでプレーした元韓国代表の柳想鐵(ユ・サンチョル)が6月7日、ソウル市内の病院で死去した。49歳だった。2019年11月にステージ4のすい臓がんと闘病していることを公表し、昨年2月にはF・マリノスの開幕戦に訪れていた。このときアテンドを買って出たのが、日本で彼の通訳を務めてきた高橋建登だった。
再会を誓い合っていたが、叶わなかった。
俺のことより、自分の体のことだけ考えてよ!
関係は選手と通訳の関係からいつしか友人に変わっていた。2004年シーズンを最後に日本から離れても交流を持ってきた。最後にSNSで連絡を取ったのが今年の元日だった。九十九里浜からのぞく初日の出の写真を撮り、闘病しているサンチョルに韓国語のメッセージをつけて送った。気がつくと、返信が届いていた。
「明けましておめでとうございます。健康でいてください」
俺のことより、自分の体のことだけ考えてよ! 心のなかでそうツッコんでみたが、周りをいつも気に掛けるのがあの人なんだからとも思えた。年末にはこれからの仕事について何往復かやりとりしたが、この日は一回だけ。そしてこれが最後のやりとりともなった。
メッセージは定期的に送っていた。3月下旬には危篤報道が出たため、心配している旨を伝えた。のちに本人の否定コメントを目にしたことで安堵していたものの、高橋への返信はなかった。それがどこか心に引っ掛かっていた。亡くなる5日前にも「元気ですか?」と送った。無事であることを願うように──。
2人の出会いは2001年にさかのぼる。