ぶら野球BACK NUMBER
ノムさん「あいつはいうことを聞かん」小5で野球をやめた“2世”長嶋一茂がヤクルトに入り、巨人にトレードされるまで
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byJIJI PRESS
posted2021/05/17 17:00
1987年、ドラフト1位で立教大からヤクルトに入団した長嶋一茂。ドラフトでは大洋ホエールズと競合、抽選の結果ヤクルトが交渉権を得た
考える“ID野球”を前面に、プロとして戦う集団へと変貌していくのだ。その流れに完全に乗り遅れ、3年目は自己ワーストの35試合の出場でわずか1本塁打。膨らみすぎた期待は、やがて批判と、あまりに早急なトレード報道へと繋がっていく。3年目を終えた時点で、ダイエー(現・福岡ソフトバンクホークス)やオリックス、さらに華のある選手を求めていた大洋ら複数球団が興味を示した。ノムさんには金田正一が「週刊ポスト」の企画で直撃しているが、「すべてなりゆきのまま、何も考えとらん……珍しいやつや」とか「(しみじみと)あいつは、人のいうことを聞かんから……」なんてほとんどサジを投げられる始末だ。
さすがに危機感を覚えた背番号3は、92年自主トレで当時中日の落合博満に自ら電話をかけ、西伊豆3泊4日の弟子入りをする。まずは一茂の緊張をほぐすため落合夫妻は隣町のパチンコ屋へ。しかし、ギャンブルをまったくやらないお坊ちゃん育ちのジュニアはどうしていいか分からない。夜はアドバイスされたことをレポート用紙にまとめていたら、長男の福嗣くんに次々に破られ、何度も書き直すハメに。それでもあの一匹狼のオレ流打者が、「純粋な気持ちが最高。きっと伸びるよ」とやさしい言葉をかけている。
しかし、すでにヤクルトに一茂の居場所はなかった。時に陰湿なイジメのようなことをしてくるコーチ陣には我慢の限界だった。プロ5年目のシーズン、周囲の反対を押し切りドジャース1Aのベロビーチへ野球留学。このシーズン、一軍出場は0だったが、ヤクルトは14年ぶりのリーグVを飾っている。そして、オフにはついに長嶋茂雄が巨人監督に復帰するのだ。父子鷹実現に期待が高まる中、巨人の保科昭彦球団代表は獲得に否定的なスタンスを崩さず、一茂もヤクルト残留を直訴して11月7日には年俸1100万円で契約更改。だが、父・茂雄が「今年ダメならユニフォームを脱がせる」と球団サイドを説得して金銭トレードでの獲得が決定した。
(【続きを読む】「お前は戦力に入っていない」実家で父親から告げられた戦力外通告 “2世”長嶋一茂のプロ野球人生はこうして終わった へ)
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。