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マリノス前監督モンバエルツがACL初制覇へエール「喜田と天野は素晴らしい選手になった。あとは…」 

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2020/12/06 17:01

マリノス前監督モンバエルツがACL初制覇へエール「喜田と天野は素晴らしい選手になった。あとは…」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

2015年から2017年まで横浜F・マリノスの監督を務めたモンバエルツ氏

モンバエルツ 帰国を決意したのは、離れる前の数カ月の状況がまったくの想定外だったからだ。リーグ終盤にホームゲームを3試合残していたが、メルボルンで試合することができなかった。2時間かけて飛行機でシドニーまで移動し、その後40日間シドニーに留まった。さらに家族とはほぼ3カ月離れて暮らさねばならなかった。3カ月だぞ……。選手にはとても厳しい状況が続いた。そんな中でも彼らは集中力を保ち続けて……。

 私はどうしてもリーグを終わらせたかった。だがアシスタントコーチは、リーグが中断すると3月に早々に帰国してオーストラリアには残らなかった。さっさとフランスに帰ってしまった。私はリーグを最後まで戦いたかったから残ることに決めた。たしかに良い結果は得られたが、本当に難しい状況だった。外国人選手たちも残りたがらなかったからだ。

いったん国を出てしまうと再入国できない厳しさ

 今日、さらに難しいのは、私の場合がそうだが一度オーストラリアを離れてしまうと入国がとても厳しいことだ。バカンスで帰国した外国人選手も簡単には再入国できない。とりわけメルボルンに戻れる可能性はほぼゼロだ。移動は制限され、外出もままならない。本当に大変な状況だ。

――すみません。基本的な質問ですが、それはコロナ禍のためですよね。だからメルボルンでは試合ができない。

モンバエルツ もちろんそうだ。

――あなたが辞めたのもそれが理由ですか。さもなければ仕事を続けていた。

モンバエルツ その通りでメルボルンは街全体がロックダウンしていた。もちろん夜は外出禁止だった。知らなかったのか?

――ええ、日本にはほとんど伝えられていないです。

モンバエルツ 最悪だった。オーストラリアの状況は、世界のすべての大陸の中で最悪だ。なかでもメルボルンは酷かった。

――そんな情報は入ってきていません。

モンバエルツ 家族が会いに来ることもできない。逆にリーグが中断したからといって、いったん国を出てしまうと再入国できない。感染状況はかなり良くなってきているが、日常生活の規制はずっと厳しいままでとりわけ外国人には厳しかった。

【次ページ】 「喜田と天野は素晴らしい選手になった」

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