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マリノス前監督モンバエルツがACL初制覇へエール「喜田と天野は素晴らしい選手になった。あとは…」
posted2020/12/06 17:01
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph by
Kiichi Matsumoto
マリノスでのミッションと、今も抱き続けるマリノスへの思い――。オーストラリアで結果を残しながら、1年でフランスに帰国したモンバエルツが、初のアジア王者を目指すマリノスに熱いエールを送る。(全2回の2回目/#1から続く)
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マリノスでの使命は「若くダイナミックなチームの構築」
――赴任したときの状況が、メルボルン・シティとマリノスではまったく違っていたのですね。マリノスでは何よりも世代交代を推進しなければなりませんでした。
モンバエルツ その通りで、公にはできなかったがそれが使命だった(笑)。第1のミッションがチームの改造を進めることで、若くダイナミックなチームの構築だった。進めていけば何が起こるかはある程度目に見えていた。クラブには独自の伝統や文化があり、それは尊重すべきものであるからだ。だから時間がかかった。
それぞれの国には違いがある。その違いを認めながら均衡を見出していくのが重要だ。ただ、今、振り返ってみても、日本での経験は本当に素晴らしかったと思う。
――日本の経験はメルボルンでも活きましたか?
モンバエルツ ああ、あらゆる経験がひとを豊かにする。様々な問題に直面し、それを解決していくことで人は経験を積む。そのひとつひとつが監督としてのキャリアに厚みを与える。マリノスの後はほぼ1年をマンチェスターで働いた。そこでの経験も大きかった。マリノスとマンチェスターで仕事をしたことで、私は自らの方法論を深めることができた。メルボルンで仕事をするうえでそれは大いに役に立った。だから効率よく仕事ができたし早く結果も残せた。
――グランドファイナルに向けての準備は難しかったと仰いましたが、それ以外には何の問題もなかったのですか?
モンバエルツ 何もなかった。スムーズにプレーを進化させていくことができた。ひとつひとつ段階を踏んでチームを進化させていった。統計的にもそれは証明されている。ボール支配率もパスの本数もわれわれがリーグNo.1だ。効率も追求した。総得点もリーグ最多だし、攻撃的なスタイルを実践し得点を重ねるという目的は達成できたといえる。リーグ得点王(ジェイミー・マクラーレン)が生まれたことにも満足している。
もちろんさらなる進化も追求した。このまま続けていたら……、相手がどんな守備の体制をとろうと、われわれはそれを崩してゲームをコントロールできるようになっただろう。また移籍でも、自分たちのスタイルに合った選手を獲得できたハズだ。
好調だったメルボルンを1年で去った「2つの理由」
――メルボルンとは3年契約で、プロジェクトも3年がかりであったと思います。なのに1年で辞任した理由は何でしょうか?