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どうして強がって見えるのか……「生意気なサッカー選手・内田篤人」を追い続けて見てきたこと
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byTakuya Sugiyama
posted2020/10/04 11:02
8月23日のガンバ大阪戦をもって、14年のプロ生活を終えた。
右SBのポジションを失った「南アフリカW杯」
実は先に紹介した9月のインタビューで、「代表でポジションを失ったらどうなるか?」という話もしている。
――子どもの頃からずっと日本代表で、そこにいることが当たり前という感覚はありますか?
「わからないでしょ、それは」
――外れたときに……。
「もう1回グッとくるだろうね。頑張ろうって。1回外されたら、俺、強くなると思う」
――崖から落としますか?
「それくらいないと、俺、満足しそうなんだよね、そういうのが一番イヤだ。慢心したらダメになるというのはわかっているんだよ。でも、自分が慢心しているかなんて、わからないから。1回失敗するとか、1回崖から落とされてもいいんじゃないかな。そういうところから逃げちゃダメなんだよ」
海外移籍についても話した。なにか言いたそうだったけれど、「まあ、全部終わったら話すから。話したいことはいろいろあるけどね」というにとどまった。このシーズンのオフ、内田はドイツへ渡り、シャルケの試合を視察していた。
そして、2010年ワールドカップ南アフリカ大会直前。怪我の影響で壮行試合に出られなかったという事実はあったが、渡欧後のスイスでのシオンU-21との練習試合に出場したきり、内田は右サイドバックのポジションを失った。その後、内田の背中を目にして、彼が私の想像以上に「落胆している」「弱っている」ふうに見えた。
まさに崖から落とされたのだ。初めてのワールドカップで。スタイルを変化させたこのチームからは、内田に限らず、数名の選手が先発を外れることになった。誰ひとり慢心とは無縁だったはずだ。けれどこの現実を受け止めるしかない。内田には、たとえ試合に出なくとも、初めてのワールドカップを無駄にしてほしくはなかった。
「1回外されたら、俺強くなると思う」
その言葉通りになれば良いと願った。
ドイツに渡っても変わらなかった“内田の流儀”
大会が終わると、内田はドイツへ渡る。
欧州は、サッカーのスタイルや体格や技術力、スピードなどが大きく異なり、ピッチ上でも日本とはまるで違う世界だろう。ましてやそこの住人たちは、自己主張の強さでは群を抜いている。そういう環境のなかで、「感情を表に出さない」と言っていた内田篤人がどう対処し、どう変わっていくのかが見たかった。彼の「生意気さや強がり」がどこまで通用するのか知りたかった。
そして、南アフリカで隠し切れなかった弱さが出たとするならば、新天地でまた殻が破れるのかもしれない。感情を秘め続けられなくなったとき、そこにどんな内田篤人が現われるのか。面白くなりそうだとワクワクしていた。
2010年8月7日の初公式戦のドイツスーパーカップ対バイエルン・ミュンヘン戦で先発デビュー。リーグ開幕戦はベンチスタートだったが、スタートは上々だった。チャンピオンズリーグベスト4へ進出し、ドイツカップでも優勝を飾り2010-2011シーズンを駆け抜けた(その意気揚々とした様子は『NumberPLUS 〈完全版〉内田篤人』に再掲載された2011年2月のインタビューで)。その後も毎シーズン、チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出場し、キャリアを重ねた。