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どうして強がって見えるのか……「生意気なサッカー選手・内田篤人」を追い続けて見てきたこと
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byTakuya Sugiyama
posted2020/10/04 11:02
8月23日のガンバ大阪戦をもって、14年のプロ生活を終えた。
スーパーカップ以降、何度も渡欧し、数々の試合や練習場で取材し、内田の変化を実感する機会があった。長引いた負傷やそのリハビリ以外でも、いい時ばかりが続いていたわけじゃない。監督が代わるたびにポジションを失ったのも事実だ。しかし、「いつもあいつは自分の力でポジションを取り返していたからね」と長谷部誠が語るように、気がつけば、定位置を奪回していた。その過程で内田が漂わせていたのは、執着や執念といった感情だった。それでも彼は彼らしくもあった。
欧州では、試合に出られなくなれば、まず監督と話をする選手が多い。内田もチームメイトから勧められたが、直訴することはなかった。
「今は、試合に出ていないけど、ウッシーはそんなことする必要ないんだよ」とスタッフに止められても、練習前後にロッカールームから離れた場所にあるグラウンドにボールや練習用具を内田は運んだ。
「ウッシーはいつもエンジン全開だけど、そんなにエンジンをふかさなくてよいときもあるんだよ」というスタッフからの助言に従うこともなかった。
ドイツの地で、変わりながらも、内田は彼の流儀を貫いた。だからこそ、信頼と結果を得ることができたんだろうと思う。
「自分の感情を引きずり出された」
2018年1月5日、鹿島への復帰が決まった直後のインタビューで訊いた。
――昔は、サッカーに対して、そこまでムキになったり、熱くなったりする感情を見せることがなかった。サッカーへの執着心さえ隠そうとしているようでした。
「若い頃はね」
――でも、ドイツの競争のなかでもまれていると、「カッコつけてもいられない」というふうに変わったという印象があります。
「俺よりデカイ奴が、俺より高くジャンプして、俺より速く走るんだから。ダサいとか、恥ずかしいとか、気にしてられないからね。そこは自分の感情を引きずり出されたという感じがする。そうじゃなければ、やっていけないだろうなと。自分みたいに『人のうしろでいいや』と思っている人間が、『前へ出ないと生き残れない』となれたのは、よかったと思う」
――海外へ行けばそういう風になるだろうという予感はありましたか? それとも意外でしたか?
「やっぱり行ってみないと、海外のことはわからないけれど、今までの自分のままじゃダメだろうなという気持ちもありました」