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西川周作「40歳までプレー&楢崎超え」 “キックの先駆者”の若手GKへの闘志と金言
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/09/25 11:40
自身も10代のころから出場機会に恵まれてきた西川。今年で34歳、若い世代の躍進に刺激を受けながらも目標は見失っていない
「若い頃は必死でしたね」
「今思うと、若い頃は必死でしたね。経験が浅い分、自分がなんとかしないといけないという意識が強く働き過ぎてしまう。特にチームの調子が悪かったり、失点を重ねているときは、気づかぬうちに自分を精神面で追い込んでしまっている。
そういう時に限ってミスが増えるんです。届かないボールやDFに任せればいいボールに突っ込んで怪我をしたり……。僕もプロ2年目(2006年11月)にヴァンフォーレ甲府のバレー選手に突っ込んで左膝の後十字靭帯を負傷して、翌年のシーズンスタートに間に合わなかった。2008年も浦和と埼スタで対戦した時に、半月板を損傷して離脱しました。そういう部分は、経験を重ねていくうちに学んでいくものなんです」
07年はキャリアワーストのリーグ11試合出場、08年も22試合と怪我の影響で出場数を落としたが、それ以降は今季に至るまでほとんどの試合にフル出場を続けている。
「大分時代は試合になるとカッカしていて、レフェリーに抗議することも多く、ピッチの中と外では、よく人が違うねと言われていました。今振り返ると、そういう時はだいたい余裕がなくなり、負のスパイラルにハマっていました。2度の大きな怪我を経験したことで、徐々に冷静になれるようになっていきましたね」
驚いたミシャの練習メニュー
考え方の変化に寄与したのは怪我だけでない。広島に完全移籍した2010年、ミハイロ・ペトロヴィッチ(ミシャ)監督との出会いが大きかった。
西川の武器は両足から繰り出される正確無比なキックだ。ミシャの下では積極的なビルドアップへの参加に加え、ハイラインを保つDFラインの裏をケアするリベロ的な役割を任された。ポゼッション練習では必ず西川も加わり、さらにハーフコートのフォーメーションゲームでは、西川の前にマンマークを1人置かれる。
「衝撃でした。僕にもマークがつくから、動かないと絶対に剥がれないし、ボールをもらえない。(ボールを)もらってもプレッシャーがかかっている状態なので、常に次の展開を予測しておかないとすぐに奪われて終わり。フィールドプレーヤーと変わらないレベルの練習を毎日ひたすらやっていたので、試合では『こんなにスペースがあるんだ』と余裕を持てるようになったんです」