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「授業後ラモスらと紅白戦」15歳でプロ、40年前の天才高校生・菊原志郎が“最強”読売クラブで過ごした青春時代「しかも…中央大に現役合格する秀才」

posted2025/03/16 17:02

 
「授業後ラモスらと紅白戦」15歳でプロ、40年前の天才高校生・菊原志郎が“最強”読売クラブで過ごした青春時代「しかも…中央大に現役合格する秀才」<Number Web> photograph by J.LEAGUE

ヴェルディ川崎時代の菊原志郎(1993年)

text by

杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

PROFILE

photograph by

J.LEAGUE

 名門・読売クラブで育ち、15歳でサラリーを得た元祖・天才少年、菊原志郎。将来の日本サッカーを牽引する存在と期待されながらも、27歳の若さでスパイクを脱いだ。現在55歳、育成年代の指導者として30年近く活躍してきたが、「少し立ち止まるタイミングだったので」とインタビューに応えてくれた。これまでの歩みをゆっくりと丁寧に振り返る。【NumberWeb消えた天才特集:全4回の2回目/第1回も公開中】

 日本サッカー史上最年少の15歳で契約を結んだ菊原志郎の頭を悩ませたのは、高校選びである。文武両道を重んじる両親に育てられ、勉学も疎かにしていなかったのだ。

 当初は神奈川指折りの進学校として知られる横浜翠嵐高校を目指していたが、学校から練習場までは電車で約2時間。急ぎ足で向かっても、14時から始まるトップチームの練習に参加できない。よみうりランド近辺の学校を調べると、練習場まで徒歩5分のところに県立の新設校を見つけた。学力レベルには目をつぶるしかなく、立地がすべてだった。

「15時頃に授業が終わり、そのまま走ってよみうりランドまで行けましたから。メニュー最後の紅白戦にはなんとか間に合い、そのあと、いつも居残りで奥田(卓良)コーチと練習していました。そんな生活を送っていたので、高校で友達と遊んだ記憶はないですね」

「デビュー戦はあまり覚えていない」

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 それでも、毎日は充実していた。帰化前のラモス瑠偉に加え、日本代表の都並敏史、加藤久らがいるトップチームのプレースピードに慣れるまでには時間はかかったが、天才少年と呼ばれた高校生は頭角を現していく。1986年2月1日、日本リーグのフジタ工業戦で16歳と7カ月の史上最年少デビュー。55歳になった本人に水を向けると、思わず苦笑を漏らす。

「デビュー戦はあまり覚えていないんですよ。昔から父に『過去なんていらない。前だけを見ろ』と言われてきたので、初めて日本リーグに出たあとも、これからどうするかを考えていました。次はさらにいいプレーをしたい、ラモスさんたちともっとうまく絡んで点を取りたいって」

 ただ、対戦した選手は39年前の試合をよく記憶している。

【次ページ】 対戦相手の証言「いまの選手に例えるなら香川真司」

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