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日本人初のスペイン挑戦を断念。
流浪のラグビーマン「誰も悪くない」。
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byYasu Takahashi
posted2020/07/25 20:00
豪州で武者修行を積んでいた藤山裕太朗。そこで見せたプレーが認められスペインリーグからオファーが舞い込んだ。
チャレンジリーグ中国電力からオファー。
大学4年になる春、中国電力レッドレグリオンズのリクルーターから電話がかかってきた。前年度、藤山の大学デビュー戦となった試合に、相手チームの選手を見に来てところ、藤山のプレーが目にとまったのだという。そこで中国電力に来てくれないかとオファーを受けた。
日本の国内ラグビーは、トップリーグ16チームの下に、8チームからなるトップチャレンジリーグがある。サッカーで言えばJ2だ。中国電力は、そこに位置していた。
トップリーグの上位チームが狙うような世代トップの選手の多くは、大学1、2年のころからリクルーターのアプローチを受け、早々に進路が内定する。世代トップではない選手たちが、3年生や4年生になってレギュラーを掴み、頭角を現しても、トップチームの採用枠は埋まっていることが多い。そこに、トップではないチームのチャンスがある。大学3年のシーズンにブレイクしはじめたばかりの藤山は、中国電力にとって格好の素材だった。
大学4年でレギュラー獲得、全試合に出場。
藤山にとっても魅力的なオファーだった。大学4年のシーズンは、優勝を目指してラグビーに専念する生活を送りたい。早いとこ就職を決めてしまえば、あとはすべての時間をラグビーに使える。藤山は中国電力への就職を決めた。
大学4年のシーズンは目論見通りに進んだ。春からフルにラグビーに打ち込んだ藤山は背番号6のフランカーで不動のレギュラーを獲得。大学生で日本代表に名を連ねた猛者が居並ぶ東海大にあって、藤山はチームでただ1人、シーズン全試合のすべての時間、ピッチに立ち、身体を張り続けた。チームは大学選手権準決勝で9連覇を飾る帝京大に敗れ、日本一の夢は叶わなかったが、個人的にはどのチームが相手でも、日本代表クラスの選手とも、勝負できた感触があった。
そんな藤山に、東海大の同級生だけでなく、他校の同級生も声をかけた。
「お前、トップリーグでやらないの?」
すでに1年後のトップリーグ某チーム入団が内定していた後輩も言った。
「先輩、トップでやらなくてエエんですか?」