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日本人初のスペイン挑戦を断念。
流浪のラグビーマン「誰も悪くない」。
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byYasu Takahashi
posted2020/07/25 20:00
豪州で武者修行を積んでいた藤山裕太朗。そこで見せたプレーが認められスペインリーグからオファーが舞い込んだ。
トップリーグで活躍する同期たち。
後ろ髪を引かれる思いで中国電力に入社したシーズン、藤山の胸には悶々と埋み火が燃えていた。トップリーグが始まると、東海大の同期たちは、日本代表を経験した野口や三浦、鹿尾だけでなく、NTTコミュニケーションズの CTB池田悠希や、日野レッドドルフィンズのSH橋本法史のような、大学時代は自分と同じような位置にいた選手たちも公式戦に次々に登場していた。
オレもあそこで勝負できていたかもしれない……そんな思いが頭をよぎった。
オレの方が上だなんて思ったわけじゃない。ただ、勝負する前に舞台を降りたことへのわだかまりが、身体の奥で熱を放ち続けた。中国電力の先輩たちには申し訳ないと思ったが、人生は一度。悔いを残したくはない。トップリーグを目指すため、藤山は中国電力を1年で辞めた。
だが、会社を辞めればトップリーグへの道が開けるわけではない。採用を勝ち取るために、藤山はふたつの武器を手に入れることにした。
フッカーへの転向と海外挑戦。
ひとつはフッカー(HO)への転向だ。FW第3列は選手の大型化が進み、トップリーグではどこのチームも大柄な外国人選手がひしめいていた。身長176cmの自分がそこで勝負できるかといえば、分が悪いのは分かっていた。だがフッカーは、スクラムやラインアウトをリードするための細かい意思疎通が求められ、日本人選手の需要は高い。日本代表の堀江翔太選手のように、大学卒業後に転向した選手も多い。
もうひとつは、海外でのキャリアアップだ。過去に大分舞鶴の複数の先輩がオーストラリアで武者修行を積み、トップリーガーの座を勝ち取っていたことを藤山は知っていた。前例は背中を押す。藤山はワーキングホリデーのビザで渡豪し、ラーメン屋のバイトを見つけ、先輩たちもプレーしたシドニーユニバーシティクラブに身を投じた。
クラブにはたくさんの選手がいたが、フッカーの選手層は比較的薄く、参加した翌週には4軍の試合に出してもらえた。そこで試合をしていると、上のチームでケガ人が出て、2軍に呼ばれた。日本からやってきた小柄なフッカーは、途中出場でピッチに入るやタックル、ブレイクダウンでのハードワークをみせた。案外やるじゃないか。2軍で2試合に出た後、プレーオフを前に、藤山はシニアチームのコーチに呼ばれた。
「次の試合は1軍のリザーブだ」
それは、オーストラリア代表のワラビーズや、スーパーラグビーのワラターズのレベルの選手たちと戦うことを意味した。藤山は身震いした。トップリーグ入りのためキャリアアップを目指して来た自分が、こんなチャンスを得られるとは……。
その思いが無理をさせたのかもしれない。藤山はプレーオフ準々決勝の試合で首を痛めていた。だが、どっちみち、この試合が終わったら日本に帰って手術するんだから同じだ……そう自分に言い聞かせて、藤山は準決勝と決勝に出場した。決勝では勝てなかったけれど、自分のプレーが通用した手応えはあった。首は痛かったけれど、戦い抜いた実感はあった。
その試合を見ていた人が、また藤山の人生に波乱を巻き起こす。