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日本人初のスペイン挑戦を断念。
流浪のラグビーマン「誰も悪くない」。
posted2020/07/25 20:00
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph by
Yasu Takahashi
日本人で初めて、スペインのプロラグビー選手になるはずだった。
藤山裕太朗が、ラグビーのスペイン1部リーグの中堅チーム「アパレハドーレス ブルゴス」と契約したのは今年3月のことだった。
「夢」と呼べるような、目指していたものではなかったけれど、思わぬ形で訪れたチャンスだ。このさい、乗ってみようという気になっていた。誰にでもできることじゃない。
だけど、そのチャンスはスルリと逃げていってしまった。
「来てくれ、待ってる、という連絡はずっと来ていたんですが、コロナのことがあってから、連絡が少しずつトーンダウンしていって……」
これは、予想もしなかった運命に弄ばれ、その弄ばれた人生をあえて突き進もうとする、現在進行形の若きエグザイル~流浪のラグビーマンの物語だ。
密集戦で仕事をこなすプレーヤーに。
藤山は大阪府東大阪市生まれの24歳。2015年ワールドカップ日本代表のHO木津武士らが巣立った小阪中でラグビーを始めた。高校は親元を離れ、九州の名門・大分舞鶴高へ国内留学。ポジションはフランカー。名門・大分舞鶴では県外出身者ながらキャプテンを務め、高校日本代表候補にも選ばれた。
大学は東海大学へ進学。高校まではパワフルに突進するプレースタイルだったが、大学の同期には、大学在学中に日本代表入りを果たすFB野口竜司(現パナソニック)やPR三浦昌悟(現トヨタ自動車)、CTB鹿尾貫太(現ヤマハ発動機)がいた。1学年下にはWTBアタアタ・モエアキオラ(2019年ワールドカップ日本代表、現神戸製鋼)、No.8テビタ・タタフ(現サントリー)という規格外の才能が入って来た。猛者に囲まれる中で、藤山はタックルや密集戦など地味なハードワークに自分の持ち場を見いだすタイプのプレーヤーに変貌していった。