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大塚虎之介MLBドラフト指名漏れ。
大リーガーの父、王貞治の助言も。
text by
木崎英夫Hideo Kizaki
photograph byToranosuke Otsuka
posted2020/06/28 20:00
サンディエゴ大3年の大塚虎之介。メジャーで236試合に登板した名リリーバーの父・晶文氏の風貌を思い出す顔つきだ。
「ぜひ、やってごらんなさい」
そして、ロバーツ監督ともう1人、父が運んでくれた縁があった。
2009年3月19日、サンディエゴのペトコ・パーク。虎之介少年は第2回WBCを戦う侍ジャパンの試合を観戦していた。第1回WBCの胴上げ投手である父の隣には、当時の優勝監督・王貞治氏が座っていた。虎之介は勇気を振り絞って、かつての大打者にこう問いかけた。
「あの……日本の先発メンバーはほとんどが左バッターです。だから僕も左打ちに変えようと真剣に思ったのですが。どうでしょうか?」
世界で一番多くホームランを放った偉人は、優しい笑顔で返した。
「それはいいことだぞ。ぜひ、やってごらんなさい」
少年は密かに胸を躍らせた。その晩から自らに課した500回の素振りは、1日も欠かしたことはない。左打ちへの転向は簡単ではなく、高校に進むまでは不本意な打撃が続くこともあったが、それでも偉大な打者の言葉が頭から離れることはなかった。
壁に残された奇跡の1枚。
「恵まれた環境」にいる自分と違い、「何もないところ」からメジャーリーガーとして活躍した父を見て、虎之介は14歳の頃、こんな誓いを書いて自室の壁に貼っている。
「I will be a MLB player!」
これまで気に入った言葉を書いて壁に貼っても、よれた紙に乱雑な文字を並べるため、母親によくはがされてきたというが、この言葉だけは今も残っている「奇跡の1枚」なのだ。
怪我、コロナ禍と不運にも見舞われたが、来年のドラフトに向けて再スタートを切っている。日本人初の「親子2代のメジャーリーガー」に向けて、大塚虎之介の熾火のような闘争心は再び爆ぜだした。