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遠慮ばかりだったリオ五輪から4年。
遅咲きのエース石井優希の“個性”。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byItaru Chiba
posted2020/05/21 11:40
2011年に初めて全日本女子メンバー入りを果たした石井。'16年リオ五輪を経験し、東京で2度目の五輪出場を目指す。
29歳、「人と戦えるようになった」
久光製薬で主将を任された2019-20シーズンのVリーグは、負けが込んでチームは7位に沈み、責任を背負いこんだが、その中でも考え方を変えた。最終戦に勝利したあと、こう語っていた。
「周りに嫌われても、どう思われてもいいから、言うべきことは言っていかないといけないと、終盤になって思えた。そこは自分自身、変われたところだなと思います」
様々な経験を乗り越えることで少しずつ強くなり、「嫌なことは嫌とはっきり言えるようになりましたし、人と戦えるようになったなと思います」と笑える29歳の今がある。
勢いのある若手選手の台頭に、危機感はもちろんある。
「(石川)真佑とか、身長は高くないですけど、やっぱり二段トスを打ち切れるってすごい強みだと思うし、本当に若い子はみんな堂々としている。コートに立ったら先輩後輩関係ないってよく言いますけど、(黒後)愛とか真佑を見ていると、本当にそうだなって。みんな、私にないものを持っているなと思います。私は先輩に遠慮してしまうほうだったので。
学生の時に上下関係が厳しかったので、先輩としゃべることがあまりなかったし、久光製薬に入ってもそこで苦労しました。若い時はすごく遠慮していたし、頼っていた。ついていくのが精一杯でした。だから私は、経験を積んだ今のほうが、なんていうか、花咲いてるなーと思います(笑)。それも個性だから」
「むしろ忘れてくださいって」
今はもう、30歳で迎える来年の東京五輪を見据えている。
「オリンピックに出ると人生が変わる」と言われてきたが、4年前のリオ五輪ではそれを実感できるところにたどり着けなかったと言う。
「自分の内容が本当に悪かったので……。私は『オリンピアンです』なんて自信を持って言えないです。むしろ忘れてくださいって思います」
そう悔いを噛みしめる。
まだ新型コロナウイルスの終息が見通せない難しい状況ではあるが、東京五輪で、「オリンピアン」だと胸を張れるように。遅咲きのエースは、新たな照準に向かって歩んでいく。