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遠慮ばかりだったリオ五輪から4年。
遅咲きのエース石井優希の“個性”。 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byItaru Chiba

posted2020/05/21 11:40

遠慮ばかりだったリオ五輪から4年。遅咲きのエース石井優希の“個性”。<Number Web> photograph by Itaru Chiba

2011年に初めて全日本女子メンバー入りを果たした石井。'16年リオ五輪を経験し、東京で2度目の五輪出場を目指す。

インターハイ棄権で味わった悔しさ。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、スポーツ界は先が見えない状況が続いている。バレーボールの国際大会も、延期とされていたネーションズリーグの中止が決まり、今年の大会はなくなった。

 国内大会も次々に中止となり、全国中学校体育大会や全国高校総体(インターハイ)も中止が決定した。

 実は石井も、就実高校3年の時に悔しい思いをしている。

 2009年、就実高はインターハイの出場権を勝ち取ったが、選手の多くが当時流行していた新型インフルエンザに感染したため、直前で棄権を余儀なくされた。

「その年は1年生に佐藤優花(上尾メディックス)が入ってきたりして、チーム的にすごく良かったし、中国大会でも優勝していたので、インターハイに懸けていました。だから棄権したのは本当に悔しかった。今の子たちの気持ちが少しは、わからなくはない、ですね」

 当時、春高バレーは3月に行われており、3年生は出場できなかったため、インターハイが3年生にとって最大の目標だった。それでもその年の就実高は11月の皇后杯のセミファイナルラウンドを引退試合とすることができた。現在は春高バレーが1月に開催されているため、今年の3年生もまだ試合ができる可能性はあるが、それまでに引退してしまう選手もいる。

「試合をせずに引退してしまうというのは、なんとも言えない思いがあると思うので、なんとか試合ができる機会があると嬉しいだろうな、と思うんですけどね……」と喪失感を抱えている高校生や中学生を思いやる。

五輪延期……「あと1年もか」

 石井自身もこの春、ショックで一時は思考停止に陥った。東京五輪の1年延期が決まったからだ。

「やっぱり、『今年の7月』と思ってやってきていたので、本当に残念というか、『あと1年もあるのか』という思いのほうが断然強くて……。テレビなどで他のアスリートの人たちが、『1年延びたことによってたくさん練習できる』とか、『もっと詰められる』と話していて、本当に前向きで。そう言わざるを得ないという部分もあったとは思うんですけど。でも私は、正直そこまで考えられなくて、もう本当に、『あと1年もか』という感じでした」

 石井は、「29歳で迎えるオリンピック」に懸けていた。

「特に何歳までやりたいとか、東京五輪が終わったら辞めるとかまでは考えていないんですけど、私自身、年齢的に、29歳でオリンピックを迎えられるって、一番自分がいい時かなと思っていたんです。経験もある程度積んだ上でできるので。でもこの先の1年はすごく変化も大きくなると思うし、ベストパフォーマンスを考えると……。ポジション的にもボールが集まってくるところなので、体力は必要ですし」

 体と心と経験値。そのバランスをこの夏、もっとも充実させて五輪に臨めるのではと自分に期待していた分、ショックは大きかった。

【次ページ】 ゆっくり歩みを進めてきた石井。

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