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遠慮ばかりだったリオ五輪から4年。
遅咲きのエース石井優希の“個性”。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byItaru Chiba
posted2020/05/21 11:40
2011年に初めて全日本女子メンバー入りを果たした石井。'16年リオ五輪を経験し、東京で2度目の五輪出場を目指す。
ゆっくり歩みを進めてきた石井。
石井は昨年のワールドカップでアウトサイドの柱として起用され、チーム最多得点を奪った。得意のディグでも存在感を発揮した。
他にエース候補として名前が挙がる古賀紗理那(NECレッドロケッツ)や黒後愛、石川真佑(ともに東レアローズ)といった若手スパイカーたちは、高校卒業後すぐに代表で鮮烈な活躍を見せ期待を集めたが、彼女たちとは対照的に、石井のここまでの歩みは一歩一歩、ゆっくりとしたものだった。
石井は久光製薬入団3年目の2012-13シーズンにレギュラーに抜擢され、リーグ優勝に貢献。2013年からは代表に定着した。ただプレーに波があり、代表ではなかなかレギュラーをつかめずにいた。その一因は「自信のなさ」だった。
「遠慮しがちで、自分に自信がなかった。それがもろに出ていたタイプでした」と石井は言う。
2016年のリオデジャネイロ五輪世界最終予選では、途中出場で流れを変える試合が続き、大会途中から先発起用された。その活躍が認められ、リオ五輪のメンバー入りを果たす。
しかし頭の中をよぎったのは、「紗理那を選べばよかったって思われてるんじゃないか」という不安だった。
その前年の2015年のワールドカップで、19歳だった古賀は、世界の強豪から次々に得点を奪い、一躍エース候補に名乗りを挙げたが、リオ五輪のメンバーからは落選していた。
自信も自覚も足りなかったリオ五輪。
「私は、(古賀)紗理那は絶対に(メンバーに)入ると思っていて、自分はギリギリのラインだと思っていました。最終予選では、途中出場からチームを支えられたらいいな、という考えでいたんですが、(リオ五輪で)紗理那がいなくて自分が、となった時のプレッシャーはものすごく大きかったです。自信を持って臨めなかったし、自覚も足りなかった。気持ちが弱かったですね」
選手選考の中で、古賀を残すか石井を入れるかでスタッフの意見が割れたという話も聞かされた。
リオ五輪で、石井は木村沙織の対角で先発したが、サーブレシーブを崩されて交代する試合が続いた。チームも苦戦し、「このままじゃ日本に帰れない」とどん底にまで落ち込んだ。
それでも、大会終盤は見違えるようなプレーを見せた。「なんかもう最後は、『自分のために頑張ろう』と開き直れて、無心で戦えました」と振り返る。
石井の優しく、人に気を遣う性格は、アスリートとしては時に邪魔になることがあった。それでも、壁にぶつかるたびに、「自分のためにやろう」と開き直ることで打開してきた。
代表で人間関係に苦しんだ時には、「周りがどう思おうと、自分がこれでいい、と思えるようにしよう。東京五輪のために、自分が何をしたいのかを考えよう。自己中だけではダメだけど、自分がしっかりしていないと、周りにも意思が伝わらない」と考えて乗り越えた。