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扇原貴宏「マリノスを常勝軍団に」
10年目で掲げた初めてのシャーレ。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byGetty Images
posted2019/12/10 15:00
ボランチでコンビを組んだ喜田とともにシャーレを掲げた扇原。怪我から始まったプロ生活、10年目でようやく初タイトルを掴んだ。
怪我で何もできなかったプロ1年目。
「何か治りが悪いんです……。本当にただの骨折なのか、実は何かあるんじゃないかとか、いろんな不安が出てきて、焦りは正直あります」
普通なら復帰に向けて状態が上がっているはずだった。しかし、足を引きずりながら、スパイクさえも履けない状況に、不安そうな表情を見せていた。すると、トップ昇格後の6月、2度目の腓骨骨折。検査の結果は右腓骨病的骨折と診断された。
この骨折は骨腫瘍が原因だった。すぐに摘出手術を受けたことで、ルーキーイヤーからいきなり長期離脱を強いられ、ほぼ1年間を棒に振ることになった。
「ちょっと接触しただけなのに骨にヒビが入るというのを3回くらい繰り返して、ずっとおかしいと思っていた。骨腫瘍があったと聞いた時はびっくりしたし、本当にショックだった。プロの世界は試合に出てなんぼだと思っていたし、1年目から試合に出たいと思っていたので、何もできない自分に腹が立ったし、危機感を凄く覚えた1年間だった。本当にきつい時間でした」
先輩から「焦らなくていいよ」。
この時、彼を救ってくれたのが、同期の活躍と先輩の言葉だった。同じタイミングで昇格した永井は1年目から試合に出場していた。トップチームでプレーする姿を見て、「絶対にあの場に俺も立つと思わせてくれた」と大きな刺激と希望をもらった。
「プロ1年目で『ここからだ』と思っていた僕は、相当落ち込んでいましたが、播戸竜二さんや大先輩たちから『まだ1年目で若いんだから、まずはしっかりと治した方がいい』、『まだまだ時間はあるんだから、焦らなくていいよ』と声をかけてもらって、気持ちが少し楽になりましたし、助かりました」
幸い、埋め込んだ人工骨がフィットし、そこから彼は腓骨を骨折することはなかった。そこから彼は時間を取り戻すかのように、プロの舞台で躍動し始めた。