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扇原貴宏「マリノスを常勝軍団に」
10年目で掲げた初めてのシャーレ。
posted2019/12/10 15:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Getty Images
15年ぶりのJリーグ制覇を果たした横浜F・マリノス。ホーム・日産スタジアムでの最終戦では、粘る2位FC東京を3−0で退けた。
試合後の優勝セレモニーで、キャプテンマークを巻いた喜田拓也とともに「チームキャプテン」を務める扇原貴宏は、誇らしくシャーレを掲げ、喜びを爆発させた。この試合、扇原は累積警告による出場停止でピッチに立つことはできなかったが、プロ10年目を迎えた彼にとって、初めて手にした初タイトルだった。
扇原という選手を見てきて、ずっと印象に残っている2年間がある。まだ彼が高校3年生だった2009年と、プロ1年目にあたる2010年だ。特にプロ1年目は彼にとってどん底のシーズンだった。この時、自分が優勝シャーレを掲げている姿を想像できたのだろうか。
松葉杖をついて見守った高校最後の試合。
扇原は中学生からC大阪の下部組織で育った。180cmを越える高さと左足のキックを生かし、CBや左サイドバック、中盤でもボランチ、トップ下、左サイドハーフと複数のポジションを器用にこなすユーティリティープレーヤーとして順調に成長を遂げてきた。
しかし、2009年11月、練習中に右足の腓骨を骨折した。高校最後の大会となるJユースカップでは松葉杖をついて、チームの試合を見つめことしかできなかった。ラストゲームとなった2回戦・名古屋グランパスU18(現在はU-18表記)戦、C大阪U-18は0−1で敗戦。試合後、永井龍(現松本山雅FC)、一森純(現ファジアーノ岡山)、杉本健勇(現浦和レッズ)ら仲間たちが泣いている姿を見て、扇原も松葉杖をつきならが目にいっぱいの涙を溜めていた。
「最後の大会だから、絶対に出て、優勝したかった……。こんな時に怪我でチームに迷惑をかけてしまった。何もできない自分が悔しいです」
取材に対し、誠実に答えてくれる姿が印象的だった。
「この悔しさをプロでぶつけたい」
その年が明けた2月。宮崎でのC大阪キャンプ。取材に行くと、まだ復帰できていない彼の姿があった。