サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
「サッカーA代表、最後の覚悟」
過去と今と。酒井友之の小さな後悔。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byKazuya Gondo/AFLO SPORT
posted2019/09/10 12:05
2000年12月、日韓戦での酒井友之。2013年8月に現役引退。その後、浦和に戻って指導者の道を歩む。現在は同クラブのジュニアユースコーチを務める。
「A代表は全く別格、と思っていた」
いっぽう酒井自身、A代表ではなくとも、十分に選手としての認知度は高まっている状態だった。それでも、2000年12月の代表チームへの招集は、驚きとともに、胸高鳴るものがあった。
「A代表は全く別格、と思っていましたよ。まずはメンバーリストに、年齢の高い選手が入っていますからね。そこまでは年代別代表で、近い年齢の選手とだけプレーしていた。でもA代表ではゴンさん(中山雅史)のようなベテランとも一緒。そういった選手たちと名前が並ぶのは光栄でしたよね」
「ああ、目標がひとつ叶うんだな」と。
12月20日、冬の東京国立競技場。この日の日韓戦は、トルシエが三浦知良を招集し、大きな話題になった試合でもあった。酒井は21歳だった。
背番号17をつけて、同ポジションの明神智和と交代でピッチに入った。後半24分のことだ(本人の記憶は「15分間の出場」だが、実際には20分近く出場)。トルシエに与えられた役割は、年代別代表と同じものだった。右サイドで攻守のバランスを見ながら、行ける時は攻めていく。
ここからの出来事を、酒井はすべてはっきりと記憶している。
「いざ、ピッチに入る時、『ああ、目標がひとつ叶うんだな』という思いが頭をよぎりました。試合前の国歌斉唱の時は年代別代表での経験もあって、緊張はしなかったんです!
でもピッチに入る時の胸の高鳴りはものすごかった」
年代別代表を経たからこそ、A代表の価値を知った。シドニーでの挫折を経て、W杯に出たい。新たな目標も芽生えていた。
最初のボールタッチは、ボール回しのなかで、スッとバックパスを通すものだった。その後、後半31分にはコーナーキックからボレーシュートを放つ。
「足にしっかり当たっていましたが、GKの正面に。これが決まっていたら、運命も少し変わっていたんでしょうけど」
その後、中央でボールを持ち、右サイドにボールを出そうとしたが、ミス。そこから自身も少し勢いを失う形になった。
チームは相手選手の退場により数的優位になりながら、1-1のスコアを動かせず、フラストレーションの残る形で試合を終えた。