サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
「サッカーA代表、最後の覚悟」
過去と今と。酒井友之の小さな後悔。
posted2019/09/10 12:05
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by
Kazuya Gondo/AFLO SPORT
2019年9月現在、日本代表で背番号10を背負う中島翔哉は言った。
「これで最後、という覚悟をもって戦います」
5日のパラグアイ戦後のことだ。かの「リフティングドリブル」の件を自ら詫びた後、ワールドカップ予選へ挑む決意を「最後」という言葉でまとめた。
確かにそういうことなのだ。日本代表たるもの、いつ、その試合が選手にとって最後の機会となるか分からない。こちらがそのことを忘れており、「最後?」と中島に聞き返してしまった。
「それくらいの覚悟だということです」
そんな返事が返ってきた。
試合には出たが「これが最後だろうな」と。
酒井友之は、2000年12月20日のキリンチャレンジカップ韓国代表戦に途中出場した後に率直に思った。
「これが最後だろうな」
今年、ナイジェリアワールドユースから20周年を迎えるに当たり多くの取材を受け、再注目を浴びた。1979年生まれの黄金世代。同大会では準優勝したチームにあって全試合フルタイム出場。その後、シドニー五輪にも出場した。
しかしフル代表でのキャップは、フィリップ・トルシエ時代の「1」に留まった。酒井は当時のチーム状況をこう振り返る。
「2002年W杯に向かうチームにあって、それまでのA代表と、ナイジェリア・シドニー組を融合させる段階のゲームでした。僕自身、呼ばれてびっくりしていました。試合前の合宿の段階から、先発はないだろうなというのは雰囲気で分かっていました」
2013年に引退後、古巣の浦和レッズで普及コーチの役割を担ってきた。今年から同クラブのアカデミーセンターでジュニアユース(U-15)チームのコーチを務める。新しい環境にあって、周囲からは「元日本代表」という話を時々振られる。
ありがたいな、と思いつつ、自らこう答える。
「15分だけですけどね!」
偶然の繋がりが引き寄せてきた、日本代表との縁だった。