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“神の子”F・トーレスが遂に引退。
完璧主義者の足跡と終幕への期待。 

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吉田治良

吉田治良Jiro Yoshida

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photograph byGetty Images

posted2019/08/22 18:00

“神の子”F・トーレスが遂に引退。完璧主義者の足跡と終幕への期待。<Number Web> photograph by Getty Images

契約期間を残しながらも引退を決意したフェルナンド・トーレス。ファンの記憶に残るゴールの数々は、色褪せることはないだろう。

プレミア初挑戦で24ゴール。

 ただし、F・トーレスがそのキャリアでもっとも眩い輝きを放ったのは、2007年からのリバプール時代だろう。愛するアトレティコとの別れは身を切るほどに辛かったが、スピーディーなカウンター戦術が自身のプレースタイルにもマッチし、プレミアリーグでゴールの山を築くのだ。

 スティーブン・ジェラードというかけがえのないパートナーの存在も大きく、入団1年目の2007-08シーズンに、2度のハットトリックを含む24ゴール。これはイングランド挑戦1年目の外国人選手としての最多得点記録で、プレミアリーグに残したインパクトの大きさは、31ゴールを叩き出して得点王に輝いたクリスティアーノ・ロナウド(当時はマンチェスター・ユナイテッド)にも匹敵した。

 その後は怪我もあって、1年目の数字を超えることはできなかったものの、毎年コンスタントにゴールを挙げて、アンフィールド(リバプールの本拠地)でもアイドルとなった。英誌『フォー・フォー・トゥ』が発表した「リバプールで活躍したストライカー・トップ10」では、ロビー・ファウラー、ルイス・スアレスに次いで堂々3位にランクインしている。

天才ならではのスランプもあった。

 もっとも、前述したように繊細かつ完璧主義者ゆえ、スランプに陥ると長引く傾向もあった。また、これも天才ならではだろう。難易度の高いミドルを涼しい顔でねじ込んだかと思えば、GKとの1対1をあえなくふかして外すなど、どこか掴みどころのないストライカーでもあった。

 2011年1月、当時のプレミアリーグ史上最高額となる移籍金5000万ポンドで加入したチェルシー時代は、とりわけそんな印象が強い。デビューから初ゴールを挙げるまでに要した903分は、クラブのワースト記録。スローテンポなサッカーとの相性も悪く、在籍3年半でリーグ戦通算20ゴールという寂しい成績に終わっている。

 それでも、ここ一番での勝負強さは、キャリアを通じて変わることがなかった。

 不振を極めたチェルシー時代も、2011-12シーズンのチャンピオンズリーグ準決勝で、お得意様のバルサをハーフウェーラインからの独走ゴールで沈めてファイナル進出に貢献すると、翌シーズンのヨーロッパリーグ決勝(ベンフィカ戦)では、貴重な先制ゴールを挙げてチームを優勝に導いている。

 さらにスペイン代表でも、2008年のEUROに続き、連覇のかかった4年後のEURO12決勝(イタリア戦)でも1ゴール・1アシストの活躍。この大会ではゼロトップが採用されたこともあって出場機会は限られたが、それでも3ゴールで得点王に。「おいしいところを持っていく」のは、スターの証であろう。

【次ページ】 引退は、身体が動かなくなる前に。

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