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名セッター古藤千鶴、36歳での引退。
黄金時代を築いた久光製薬への愛。
posted2019/08/07 11:00
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Matsuo/AFLO SPORT
今年6月、偉大なセッターがひっそりとユニフォームを脱いだ。
久光製薬スプリングスで5度のリーグ優勝を果たした古藤千鶴だ。
久光製薬は過去8年連続でリーグのファイナルに進出しており、そのうち5度優勝というまさに黄金時代。その一時代を、36歳になった昨シーズンまで、司令塔として支え続けた。
長崎女高では主にミドルブロッカー。高校卒業後、当時チャレンジリーグ(現在のV.LEAGUE DIVISION2)に所属していたPFUブルーキャッツに入団し、セッターに転向した。そして2009年、久光製薬に移籍した。
その移籍が、古藤にとって大きな転機になった。中でも、2012年に久光製薬の監督に就任した中田久美前監督(現・日本代表監督)、2016年に就任した酒井新悟監督との出会いが大きかったと振り返る。
「久美さんと出会って、バレーボールの奥深さや、セッターの人間性の重要性といったことをすごく知ることができましたし、新悟さんと出会って、それがより深く、広くなったと感じます」
とことん考えさせられる環境の中で。
特に久光製薬の変革の年だった中田監督就任1年目の2012/13シーズン、古藤は司令塔として、主将として、中田監督のチーム作りの中核におり、その分、苦悩は絶えなかった。毎日が、とことん考えさせる中田監督の“問い”との戦いだった。
「苦しかったですね、本当に(苦笑)。『なんでこうなの?』というふうに疑問を投げかけられて、そのつど自分でなんとか答えを見つけていったという感じでした」
“圧倒的強さ”を目指していた中田監督は、いくら勝っても「内容がダメ」と満足しなかった。
その中で、古藤はそれまでの自分にはなかったセッター像にたどり着いた。