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名セッター古藤千鶴、36歳での引退。
黄金時代を築いた久光製薬への愛。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byMatsuo/AFLO SPORT
posted2019/08/07 11:00
久光製薬スプリングスで10年間プレーした古藤。今年6月で現役を引退した。
ガッツを見せながらも陰に徹する。
「陰に徹するということですね。それまでは、自分が先頭に立って、陰にならずに、ありのままの自分で勝負していた部分がありました。でも久光のスパイカー陣を活かすには、セッターは、リーダーシップを取りながらも、陰に徹しないといけない。自分の中でそれを見つけるのがすごく難しかったですね。
言葉をバーッと積極的に発したり、ガッツを見せたりしながらも、それだけじゃなく、日頃はみんなのサポートに回る。自己犠牲と言うんですかね……。その両方をやるというのがすごく難しかったですね」
例えば、自分の時間を削ってでも、誰かの話を親身になって聞く。自分の体がつらい時でも、スパイカーの個人練習に付き合ってトスを上げる。
「いかに他のプレーヤーに気持ちよくプレーをしてもらうか、というところに、すごく力を使うようになりました」
古藤が悩みながらたどり着いたその献身は、周囲からの信頼につながり、長きに渡って第一線でコートに立つ礎となった。
リオ五輪に招集されず落ち込んだ。
その姿勢は代表に行っても変わらなかった。2015年、古藤は代表に招集され、ワールドカップに出場した。大会途中からは控えに回ったが、懸命にチームメイトをサポートし、若き司令塔・宮下遥(岡山シーガルズ)や19歳だった古賀紗理那(NECレッドロケッツ)の活躍を引き出した。
日本代表やオリンピックは、古藤の子供の頃からの夢だった。
中田監督は久光製薬で、普段の練習から常に“世界”を意識させていたこともあり、古藤のオリンピックへの思いもより強くなっていた。
しかし、ワールドカップの翌年、リオデジャネイロ五輪が開催される2016年、古藤は代表に招集されなかった。
「めちゃめちゃ行きたかったです、オリンピック。あそこが行けるチャンスだったというか、私はタイミング的にあそこしか行けるチャンスはなかったから、合宿にも行けずに終わって、すごく落ち込みましたね」