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厳しいセッター争いにも折れない心。
バレー代表・深津英臣「這い上がる」
posted2019/07/25 11:40
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Itaru Chiba
限られた時間を「まだ」と取るか。「もう」と取るか。
東京五輪の開幕まで1年。競泳や飛び込み、レスリング、陸上、柔道など、この夏から秋にかけて開催される世界選手権の結果次第で、東京五輪の出場枠、出場選手が決まる。
日々少しずつ色濃くなる五輪。
個人競技のみならず、その場に日本代表として立つためにしのぎを削るのは団体競技の選手も同じだ。
男子バレーボールはチームとして出場する権利は獲得したが、代表選手としてコートに立てるのは12名。1年、もっといえば1日1日が勝負であるのは言うまでもない。
その、息が詰まりそうな日々の中、セッター・深津英臣はもがいていた。
石川、柳田らを活かしたセッター深津。
4年前のワールドカップは5勝6敗で6位という成績以上に、活躍した石川祐希、柳田将洋の人気が沸騰。開幕当初は空席を隠すために張られていた幕がスタンド席から外れ、広島から大阪へ会場を移すと体育館には連日満員の大観衆が押し寄せた。
もちろんその中心にいたのは若き両エースであるのは確かだが、アイドル的人気のみに限らず、攻めるべき場面で攻め、サーブからチャンスをつくった。世界の強豪と呼ばれるチームとも堂々と渡り合う姿は、久しぶりに「見ていて楽しい男子バレー」だった。
アタッカーの打点を活かす高さと、ブロックを見て打つ間があるトスを伸びやかに石川や柳田、清水邦広が打ち切り、彼らを活かすべく布石としてミドルブロッカーも効果的に使う。日替わりのヒーローが生まれる理想通りの展開を生み出した立役者は、紛れもなく、セッターの深津だった。
だが、そこから苦悩の日々が始まった。