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ロッベンが引退直前に仏誌で告白。
盟友リベリーとバイエルンでの栄光。 

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アレクシス・メヌーゲ

アレクシス・メヌーゲAlexis Menuge

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photograph byStefan Hobmaier

posted2019/08/05 08:00

ロッベンが引退直前に仏誌で告白。盟友リベリーとバイエルンでの栄光。<Number Web> photograph by Stefan Hobmaier

リベリーとの“ロベリーコンビ”でバイエルンを支えたロッベン。果たして彼はどんな選択をするのか。

ファンハールという存在の大きさ。

――あなたのキャリアにおいてルイス・ファンハールはどんな役割を果たしましたか?

「彼が僕をバイエルンに誘い、彼とともに僕は頂点に達した。選手ひとりひとりを最高の状態に持っていくことに関して彼は特に優れている。彼のおかげで僕のプレーは大きく進歩したし、自信も与えてくれた。彼との距離が近かったのは、単に同じ言葉を喋るからだけではない」

――バイエルン行きを決めたのは、彼が監督だったからですか?

「彼が監督でなかったら、行かなかったかどうかはわからない。当時はレアルとの契約がまだ残っていて、居心地の良さを感じていた。あのころの目標はチャンピオンズリーグに優勝することだった。

 ところがバイエルンは、ヨーロッパのトップ5はおろかトップ10にも入るかどうかという状況で、移籍は大きな賭けだったし決断は簡単ではなかった。でも結果的に、僕の人生で最良の決断となった。すべてがうまくいったのだから」

――ミュンヘンではただちに存在感を見せつけました。

「すぐにリラックスできた。リーグの初戦(2009年8月29日のヴォルフスブルク戦、3対0でバイエルンの勝利)は契約にサインした数時間後だったけど、後半から入って2点を決めた。それがきっかけだった。

 9カ月後に僕らはインテルとのCL決勝に臨んだ(0-2で敗戦)。ちょっと驚くべきことで、以来バイエルンは再びヨーロッパのトップに返り咲いた。僕らは3度(2010年、2012年、2013年)CL決勝に進んだ。そうした安定感こそが最も得難いものだ」

妻からも誇りに思っていいと。

――左利きの右ウイングが中央に割って入ってシュートを打つことを「ロッベン」と呼ばれるようになりました。

「そう呼ばれるのを誇りに思っていいと、妻はよく言う。たしかにあまりないことだ。そのプレースタイルで僕の評価も高まったし、35歳になった今までプレーができたわけだから」

――さらにそのスタイルに磨きをかけたいと思っていますか?

「それはどうかな。すべてはフィーリングの問題で、自分がどう感じるかが最も大事だからね」

――ではバイエルンで一番忘れられない試合はどれでしょうか?

「2013年のバルセロナとのCL準決勝だ。力の限りを尽くした最高峰の戦いで、本当に素晴らしかった」

――それでは最悪の思い出は?

「ひとつはアリアンツ・アレナでおこなわれたチェルシーとの2012年CL決勝。ゲームを完全に支配し、僕らは勝利に値した。もうひとつはCLで3年連続でスペインのクラブに準決勝で敗れたことだ(2014年レアル・マドリー戦、2015年バルセロナ戦、2016年アトレティコ・マドリー戦)。

 レアル戦もアトレティコ戦も、僕らが決勝に進むべき試合だった。PKの失敗やけが人、レフリーの判定などで、グアルディオラが作り出した素晴らしいスタイルのサッカーが、然るべき結果を得られなかったのが本当に残念だ」

【次ページ】 ケガを繰り返す中で学んだこと。

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