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自分自身の限界を知るために──。
男子バレー福澤が自らに課す使命。

posted2019/07/13 17:00

 
自分自身の限界を知るために──。男子バレー福澤が自らに課す使命。<Number Web> photograph by Itaru Chiba

33歳になった現在も自らの課題を冷静に分析し、日々進化する努力を怠らない。

text by

米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph by

Itaru Chiba

 人は変われる。進化できる。弱点は武器に変えられる。

 それを証明しているのが、バレーボール日本代表のウイングスパイカー、福澤達哉(パナソニックパンサーズ)である。

 昨年、2年ぶりに日本代表に復帰した福澤は、ネーションズリーグで、リベロと2人でサーブレシーブの中心を担った。

「こんなことあります?」と福澤は笑っていた。

 なぜなら、以前は攻撃型の選手で、サーブレシーブが弱点だったからだ。

 最高到達点355cmの抜群の跳躍力を活かした攻撃が早くから評価され、中央大学1年の時に代表デビューし、大学4年だった2008年には北京五輪出場を果たした。以降日本代表の主軸になったが、サーブレシーブを崩されて途中交代となる試合も多かった。

 それが今では、福澤のサーブレシーブが代表チームで重宝されている。

1kgのメディシンボールで特訓。

 福澤の助けになったのは、フローターサーブに対するオーバーハンドでのサーブレシーブだった。

 福澤はパナソニックに入社した2009年から、オーバーハンドでのサーブレシーブを練習していた。当時はまだアンダーハンドが主流だったが、パナソニックの全体練習が終わると、真保綱一郎コーチ(現・FC東京監督)が台上から1kgのメディシンボールを打ち、それをひたすらオーバーハンドで返す福澤の姿があった。

「フローターのサーブレシーブに関しては、早々とアンダーに見切りをつけて、オーバーの練習を始めました。アンダーが苦手という意識がすごくあったので、得意なものを伸ばした方がいいんじゃないかと思って」

 毎日の地道な練習で身につけたオーバーハンドのサーブレシーブは、「自分の強み」と自負する武器になった。

 変貌したのはサーブレシーブだけではない。スパイクでの得点の奪い方も変わった。

 以前は真っ向勝負で、国内ではブロックの上から打てても、対海外になると高いブロックに阻まれ苦しんだ。しかし今ではそのブロックを巧みに利用してブロックアウトを奪ったり、リバウンドを取るなどプレーの選択肢が増えた。跳躍力だけを比べれば若い頃の方が高かっただろう。しかし今の福澤の方が、相手にとっては嫌な選手のはずだ。

【次ページ】 点を取れば使われる、という真実。

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