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「監督のボルボ車がボコボコに…」松井大輔41歳がいま明かす、フランスのやんちゃなサポーター話「発煙筒を手に“お前ら、分かってるか?”」
posted2022/08/19 17:02
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
Hirofumi Kamaya
発売中のNumberPLUS「パリ・サン=ジェルマンのすべて」は、7月に来日したPSGに密着したツアーの公式総集編です。川崎フロンターレらとの試合を含め、オリジナル写真やコメント、レポートなどを掲載。1万部の限定で、ここでしか手に入らない、メッシ、ネイマールらPSG選手のNFTが付録となっています。
今回は誌面から、フランスリーグで7年半活躍した松井大輔さんのインタビュー記事を転載。ご自身の強烈な経験をもとに、今季のPSGとリーグ・アンの見どころを解説してくれました。
<23歳で渡仏し、PSGも注目した日本のドリブラーは、4つのクラブを経る中で、何を見て、何を体験してきたのか。彼が見たフランスリーグの実情とその魅力、そして今季から参戦する日本の2人のエースの展望を語る>
「当時の監督から『ぜひPSGに来てくれ!』と言われていたんです。パリからのオファーを最後まで待っていたらどうなっていたのか……。今回の日本ツアーでも『ひさしぶり! 元気?』みたいな感じで、顔を出せたかもしれなかったのに(笑)」
今だから話せるエピソードを明かすのは、日本におけるリーグ・アンのパイオニア的存在で、通算出場試合数で今なお日本人トップに立つ松井大輔だ。2部のリーグ・ドゥ時代を含め、フランスで7年半にわたってプレーした。
2008年の夏、松井はル・マンからサンテティエンヌへ移籍したのだが……。実は、このときパリ・サン=ジェルマンからも熱視線を注がれていた。当時のパリを指揮していたル・グエン監督からじきじきにラブコールを送られていたほどだった。ただ、資金難にあえいでいた首都のクラブは、予算などの兼ね合いもあり、人員整理が進むまでは正式なオファーは出せない状況だった。確実視されていたオファーがわずか1日の間に取り下げられ、誰も想像すらしていなかった移籍が実現するのが、ヨーロッパの市場だ。松井はパリの熱心さに惹かれながらも、正式なオファーを早い段階で出してくれたサンテティエンヌを選んだのだという。
「オシムさんは、少し怖い雰囲気がありましたよね」
サンテティエンヌは、1960年代にリーグ4連覇、70年代にも3連覇を果たし、かつて将軍プラティニがプレーしていたことで有名なクラブだ。そんな名門を選んだ松井だったが、そこで、現在のPSGとの“縁”が生まれた。
松井が加入した08-09シーズンの11月。成績不振のために、当時の監督やコーチが解任され、アラン・ペラン新監督が迎え入れられた。そして、その右腕としてやって来たアシスタントコーチが、クリストフ・ガルティエだった。今シーズンからPSGを率いる監督である。
当時からサンテティエンヌの練習のほとんどをガルティエが仕切っており、監督のペランは時折、口を挟む程度だった。
「この人は将来、監督になるんだろうな」
ありし日のガルティエを見ながら、松井はそう感じていたという。
「選手からすると、コーチのなかでも『将来、監督になりそうだな』というのは、普段から接していればわかるものなんです」